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【連載小説】家電ブラザース 井植歳男と松下幸之助 第1回(その3)

阿部牧郎(作家)

2014年04月30日 公開 2022年07月11日 更新

 

 工場は幸之助と妻のむめの、それに歳男の三人だけになった。自宅をかねた工場の静寂さが身にしみた。製品入りの木箱の山におしつぶされそうな気がする。いったいこれからどうなるのか。改良ソケットは売れるのか。子供心に歳男は不安だった。姉のむめのも、不安をおしころして暮していた。

 「あんた、ほんまに大丈夫ですか。大阪電灯へ帰ったほうがいいのとちがいますの」

 ある日の夕食のあいだ、むめのが訊いた。控えに控えてきた質問だったのだろう。

 「いや、このまま事業をつづける。ほかのこと考える気にならんのや。しばらく待とう。かならず道はひらける」

 こともなげに幸之助はこたえた。深刻ぶらない、涼しげな表情だった。

 「そうですか。ほな私、なにもいいません。だまって夫についていくわ。貞女の鑑です。いい女房もろてあんたも倖せですな」

 「あほ。女房が亭主についていくのは当たり前の話やないか。おまえが鑑やったら、このご近所は鑑だらけや。ピカピカしよるわ」

 「きのう、おとなりの奥さんにいわれたんですよ。質草の着物もたねがつきるやろ。いっそ改良ソケット質にいれたらいいのにって」

 「あほ。質屋風情に値打ちのわかる製品をうちはつくっとらん。絶対に質に入れんぞ。ゼニもって、ひきとりにきよったらべつやけどな」

 姉夫婦の会話をききながら、歳男は幸之助の執念の深さに感じいっていた。

 ほんまに強い人や。舌を巻いていた。喧嘩して相手を圧倒する強さではなかった。耐えぬいて、とことんねばるしたたかさだった。わずかでもチャンスがあれば盛り返そうとする。目を皿にしてチャンスをうかがう。暗闇のなかに、無理にでも灯をさがそうとする。不安の念に心をみだされないのが、すごかった。やはり大阪電灯の検査員にまで出世した自信のたまものなのだろうか。他人に負けない技術があるせいか。となると、歳男自身もなにか一生のささえになる技術、知識を身につけたほうがいいのではないか。きっとそうだ。

 学校へいきたい。歳男は思った。学問なんかきらいだったはずなのに、学校へいきたくて仕方がなくなった。だが、姉夫婦食うや食わずの暮しである。年の瀬を越せるかどうか、心許ない状態にあった。学校どころではない。小売店廻りを歳男はつづけた。くすんだ大阪の街が歳男の学校だった。

 師走に入った。ソケットは相変らず売れなかった。松下一家の工場は休止状態にあった。歳男は小売店廻りをする。幸之助は机に向かってソケット改良の工夫をしていた。

 ある昼前、松下幸之助あてに一枚の葉書が舞いこんできた。川北電気という扇風機のメーカーからだった。

 「わが社の扇風機の碍盤は陶器製である。だが、これを煉り物でつくってはどうかと考えている。御社はソケットの製造で煉り物は得意だときいている。ぜひ一度ご相談したい」

 葉書にはそういう文章が書いてあった。碍盤とは扇風機の台の部分だ。「ひょっとしたら、いい話になるかもしれんな。とりあえずいってくる」

 一張羅の背広をきて幸之助は出かけていった。

 夕刻、幸之助はもどってきた。あかるい表情だった。注文がとれるかもしれないという。すぐ幸之助は鋳型の図面をひいた。翌朝、それをもって鍛冶屋へ出かけていった。

 一週間後、型ができあがってきた。型押機に鋳型をセットする。煉り物を流し込んで、幸之助が慎重に機械のハンドルを押した。碍盤ができてきた。そばで歳男が布で磨く。なかなかいい製品のように思われた。いくつかの見本を幸之助は箱につめた。唐草模様の風呂敷に包んで、背負って出かけた。

 「さあこれからいそがしうなるで。歳男、しっかりふんどししめてたのむぞ」

 午後、幸之助は昂奮して帰ってきた。

 煉り物の碍盤は評判がよかった。陶器製とちがって、こわれないからだ。外見もきれいだった。見本品を、川北電気の社長はすっかり気にいってくれた。とりあえず一千箇の注文をくれたのだ。

 きのうまで閑古鳥の鳴いていた松下工場はとたんに殺人的なフル操業になった。幸之助が機械を押す。歳男が原料を煮る。家事のあいまをみて、むめのが磨きを手伝う。ときには仕事の分担を変える。納期をまもらねばならない。今後の信用にかかわる。木枯が障子を鳴らす音をききながら、いまは朝から晩まで扇風機の台つくりである。原料が切れかかると、歳男は丁稚車をひいて、道修町へ仕入れにゆくことになる。

 とつぜん活況がやってきた。しかも本業のソケットではなく、扇風機の碍盤という思ってもみない品物による好況だった。人生、一寸さきは闇。なにがおこるかわからない。歳男はそれを肝に銘じた。ねばることにきめた。この大阪で生きぬくには、義兄をまねて、蛇のように待つことからはじめねばならない。

<『PHPビジネスレビュー松下幸之助塾』2014年5・6月号Vol.17 につづく>

 

<作者紹介>

阿部牧郎あべ・ まきお)

1933年生まれ。京都大学文学部卒。1988年、『それぞれの終楽章』(講談社)で第98回直木賞を受賞。戦記小説、時代小説など幅広い分野で健筆を振るっている。近著に『神の国に殉ず 小説・東条英機と米内光政』(祥伝社)、『定年直後』(徳間書店)などがある。

 

<掲載誌最新号紹介>

2014年5・6月号Vol.17

5・6月号の特集は「実践! 自主責任経営」。
「自主責任経営」とは、“企業の経営者、責任者はもとより、社員の一人ひとりが自主的にそれぞれの責任を自覚して、意欲的に仕事に取り組む経営”のことであり、松下幸之助はこの考え方を非常に重視した。そしてこれを実現する制度として「事業部制」を取り入れるとともに、「社員稼業」という考え方を説いて社員個人個人に対しても自主責任経営を求めた。
本特集では、現在活躍する経営者の試行や実践をとおして自主責任経営の意義を探るとともに、松下幸之助の事業部制についても考察する。
そのほか、パナソニック会長・長榮周作氏がみずからを成長させてきた精神について語ったインタビューや、伊藤雅俊氏(セブン&アイ・ホールディングス名誉会長)、佐々木常夫氏(東レ経営研究所前社長)、宇治原史規氏(お笑い芸人)の3人が語る「松下幸之助と私」も、ぜひお読みいただきたい。

 

BN

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