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「吉田昌郎所長と福島原発“現場”の真実」『死の淵を見た男』が描く当事者の想い



2014年09月12日 公開

門田隆将(ノンフィクション作家)

福島第一原発

9月11日、朝日新聞は、同紙が平成24年(2014)5月20日に一面トップに掲載した「所長命令に違反、原発撤退 福島第一、所員の9割」との記事を取り消して謝罪することを明らかにした。

この記事は、東日本大震災から4日後の3月15日朝の状況について、「第一原発にいた所員の9割にあたる約650人が吉田氏の待機命令に違反し、10キロ南の福島第二原発へ撤退していた。その後、放射線量は急上昇しており、事故対応が不十分になった可能性がある。東電はこの命令違反による現場離脱を3年以上伏せてきた」と報じていた。

あの日、本当は何が起きていたのか。ノンフィクション作家の門田隆将氏が、吉田昌郎所長や現場の人々にインタビューし、すべての証言を実名で明らかにした『死の淵を見た男』(平成22年〈2012〉11月、PHP研究所より刊行)が、当時の苛酷な状況、そして当事者たちの熱い思いを克明に描き出している。

※本稿は、門田隆将著『死の淵を見た男』(PHP研究所)より一部抜粋・編集したものです。

 

あの日、福島原発で何が起きていたのか

「各班は、最少人数を残して退避!」
「2号機、サプチャンの圧力、ゼロになりましたぁ!」

その声は、緊対室(緊急時対策室)に轟きわたった。声の主は、伊沢郁夫(事故当時、原子炉1号機、2号機を操作する中央制御室〈通称「中操」〉の当直長)である。伊沢はそのシーンを繰り返し思い出す。「うっ」という声にもならない声がその瞬間、緊対室を包んだのだ。

3月15日午前6時過ぎ――。直前に大きな衝撃音が緊対室を包み込んでいた。明らかに“何か”が爆発した音だった。(今度はどこが……?)緊対室に緊張感が走った瞬間、「パラメーター、確認しろ!」吉田昌郎所長がそう叫んでいた。

「はい!」発電班の席にいた伊沢は、ただちに中操に連絡した。2日前の夕方から伊沢たちは数時間ごとに1、2号機の中操に交代で行く態勢に切り替えている。この時、中操に入っていたのは、平野勝昭(1、2号機の当直長の1人)を筆頭とする運転員たち5人である。

平野たちは爆発音が起こってすぐ暗闇の中操で懐中電灯を頼りに、パラメーターの数字をいちいちバッテリーにつないで読み取っていった。その時、サプチャンの圧力が「ゼロ」になっていたのを発見したのである。

「2号機、サプチャンの圧カゼロ!」ただちに平野から伊沢に電話連絡が来た。受話器を握ったまま伊沢は、緊対室の隅々まで響きわたる声で叫んだのだ。1号機や3号機で水素爆発が起きていたことから、「もしかしたら2号機も」という思いを持っていたのは確かだ。

ついにこの時が来た。発電班の面々は、誰もが「もうダメかもしれない」と思った。サプチャンとは、サプレッション・チェンバー(suppression chamber)の略で、格納容器の圧力を調節する圧力抑制室のことだ。

炉心の蒸気は、このサプチャンの水の中に吹き込まれて液化される。ここの気密性が揺るがなければ、高濃度の放射線放出は避けられる。だが、その圧力が「ゼロ」になったということは、頼みのサプチャンに「穴があいた」可能性を示している。

のちの検証によれば、ベントが成功しなかった2号機はこの時、なんらかの損傷により、全号機の中で最も多くの放射性物質を“放出”したのである。

ついに恐れていた事態が起こったかもしれない――受話器を握りしめたまま伊沢は、いっそう慌ただしくなる緊対室の光景を見つめて、そんなことを考えていた。それからどれほど時間が経っただろうか。吉田所長の「指示」が飛んだ。

「各班は、最少人数を残して退避!」大きな声だった。吉田は、ついに各班に必要最低限の人数を残しての「退避」を命じたのである。緊対室の面々は、直前に菅首相の“演説”を聞いている。ここまで言われるのか、とそれぞれが虚脱感に見舞われてから、わずか30分ほどしか経っていない。

命をかけて事態に対処している者たちに、一国の総理が「命がけでやれ!」と言い放ったのである。その虚脱感がまだ抜け切れない、なんともいえない嫌な空気の中に“最悪の事態”が訪れたのである。

「(残るべき)必要な人間は班長が指名すること」吉田は、さらにそう指示した。指揮官である吉田所長が、ついに「退避」を命じたことに、伊沢はこの時、独特の感情を抱いている。

「吉田さんはある意味、ほっとしているかもしれない」ふと、伊沢はそう感じたのだ。

「この時点で技術系の人間ではない人たちも含めて免震重要棟には大勢の人(注:600人以上)が残っていました。吉田さんは、技術系以外の人は早く退避させたかったと思います。

しかし、外の汚染が進んでいましたから免震重要棟から外に出すことができなくなっていたんです。でもこの時、もうそんなことを言っていられない状況が生まれたわけですから、最小限の人間を除いて、2F(福島第2原発)への退避を吉田さんが命じたんです。

退避を命じることができたことで、吉田さんがある意味、ほっとしただろうと思ったのは、私自身が当直長として部下たちと一緒に中操に籠もっていて、同じような立場にいたからだと思います」

伊沢は、人の命を左右する立場にある者のつらさに共感を覚えた。吉田が「退避を命じる」ことができたという事実に、伊沢は、ああよかった、と不思議な感覚に捉われていたのである。それは、地震発生以来、中操でぎりぎりの闘いを展開してきた伊沢だからこその感想だっただろう。

 

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著者紹介

門田隆将(かどた・りゅうしょう)

ノンフィクション作家

1958年、高知県生まれ。中央大学法学部卒業後、新潮社に入社。『週刊新潮』編集部副部長などを経て、2008年に独立。『この命、義に捧ぐ』(集英社)で第19回山本七平賞を受賞。『なぜ君は絶望と闘えたのか』(新潮社)、『蒼海に消ゆ』(集英社)、『康子十九歳 戦渦の日記』(文藝春秋)、『太平洋戦争最後の証言』(小学館)、『死の淵を見た男』『「吉田調書」を読み解く 朝日誤報事件と現場の真実』『吉田昌郎と福島フィフティ』(PHP研究所)など著書多数。

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