小柴昌俊・基礎科学のための「国民1人1円」運動
2014年10月14日 公開 2024年12月16日 更新
《100年インタビュー『ニュートリノと私』より》
後進のために
「カミオカンデは神岡の鉱山跡にあるんだけど、実験のためのお金が足りないわけ。アメリカの予算規模の半分以下だからね。そこで、国民の貴重な血税4億円あまりを使って、10倍近いアメリカの実験をどう超えられるか。私はとにかく知恵を絞って、必死に一所懸命考えて、やっとたどり着いたんだね」
「産学協同の風潮が強まり、直接産業や利益と結びつかない学部が、冷遇されるおそれが出てきている。これは大変なことだと思って、僕は微力でも、基礎科学は、やりがいのあるものだと、若い人たちに知らせたいと思って、平成基礎科学財団を作った」
平成基礎科学財団の設立
――いま、先生のお弟子さんたちが、スーパーカミオカンデで頑張っていらっしゃる。先生はそこの監修もされながら、ご自身で「平成基礎科学財団」を立ち上げていらっしゃいます。これはノーベル賞の賞金など私財4000万円と、ご自分の著書の印税なども全部つぎ込んで、それでも足りなくて、6000万円はご自身で寄付を募って歩かれたとか。この財団を、私財を投じても作ろうとされた思いとは?
それはね、2002年、私のノーベル賞発表の少し前の話なんだけど、9月頃に新聞やテレビを見ていたら、国立大学を独立行政法人にするという議論が盛んに行われていたわけ。で、私自身は、独立行政法人自体に反対する気はなかった。大学はもっと世界に開いた組織であるべきで、たとえ日本の国籍がなくても、立派な学者は教授に雇うべきだと思っていたからね。国立大学って、そういうことができないわけね。
ところか心配なのは、独立行政法人だと必ず独立採算が正面に出てくる。そうなると、産業と結びつく工学部とか薬学部はいいけれど、文学部とか理学部というのは、冷や飯を食うことになっちゃう。いまいる人間は仕方ないとしても、若い高校生などは、将来性かないと思って、そんな学部に来なくなると。
これはね、大変なことになる。それじゃあ、微力でも財団を作って、若い連中に、基礎科学はやりがいのあるものなんだよと、何とか感じさせよう。そう思ってね、基礎科学財団を作ろりと思ったのよ。
自ら楽しむ科学教室を
いま、中高校生や若い人たちが自分で応募して、財団の授業や講義に参加している。僕はね、先生が引率して団体で連れて来られるのは、みなお断り。個人、個人の高校生が、「私はこれを聴きたい」つて自分で申し込んだ人だけを入れるの。当人にやる気がないのはね、駄目なんだよ。だから僕はね、これは「楽しい科学教室」じゃなくて、「楽しむ科学教室」なんだと。
自分から楽しむ。だから教室では、その分野の卜ップレベルの大先生に、内容のレベルは落とさないでくださいと。その代わり、高校生にもわかるように、普通よりずっと長時間、1時限1時間20分を2回使った講義で教えてくださいと。
私自身も、去年の11月にやりましたよ。ニュートリノの説明をしたら、いろいろと良い質問か出たね。物理に限らず、先週の日曜日は脳の働きの話をしてもらったら、やはりその時も質問がたくさん出ていました。だから僕は、基礎科学が本当にやりがいのあることだと感じさせることができれば、この財団を作った意味かあったと思うんです。小さくてもせめて、うちの財団ぐらいは、儲かる儲からないにかかわらず、やっていきたいと。
特に世の中の風潮として、目先の実利を求めることが多い。政府の態度が大体そうですから。基礎科学よりも、例えば総合科学技術会議での方針ね。
例えば。ナノスケールの工学とかバイオテクノロジーとか、いろいろ出しているけど、それは全部、産業に役立つことばかりで。基礎科学のことなんて、何も出てこないわけ。
基礎科学のための「国民1人1円」運動
――財団の運営費、1人1円という運動というか、募集をしているんですね。この発想が、お金に苦労された小柴さんらしいかなと思いますけれど。
基礎科学は、大体産業に利益をもたらす研究はやらないでしょ。だから産業の、企業にまとまった寄付をお願いするわけにいかない。そこで考えて、結局これは広く日本の国民のみなさんに、わが国の基礎科学を支えてもらうしかないと。だから、国民のみなさん、おじいちゃんもおばちゃんも赤ちゃんも、みんな年に1人1円は、応援してくださいと。
そういうキャンペーンを始めたら、ありがたいことにそれがだんだん染み渡っていって、いくつかの県とか市が、住民の数だけの賛助会費を納める会員になってくれて、いまでも少しずつ増えています。
で、例えば、私たちの財団の評議員会の中に、トヨタ自動車の名誉会長の豊田章一郎さんが入っているんだけれど、私は豊田さんに寄付をお願いしたことは一度もないの。豊田さんも頼まれないのに寄付する人じゃないからね。
そんなわけで、産業界におんぶされることは、最初から考えなかった。産業界に頼めば、何か商品につながるプレッシャーが来るかどうかは、僕は経験がないから知らないけど。
<書籍紹介>
ニュートリノと私
not a miracle at all
小児麻痺を克服し、独自のアイデアと行動力で必ず結果を出してきた科学者が、ノーベル物理学賞受賞までの道のりと若い人への思いを語る。
<著者紹介>
小柴昌俊
(こしば まさとし)
東京大学名誉教授、公益財団法人平成基礎科学財団理事長
1926年(大正15年)愛知県豊橋市生まれ。東京大学理学部物理学科卒業。ロチェスター大学大学院修了。 Ph.D.理学博士。シカゴ大学研究員、東京大学原子核研究所助教授、同理学部助教授を経て、1970年同教授。素粒子物理国際研究センター長、東海大学理学部教授(1987年-1997年)などを歴任。ドイツのDESY、スイスのCERNの客員教授を務める。 1987年、東京大学を定年退官する直前に「カミオカンデ」で超新星爆発からのニュートリノを世界で初めて観測。仁科記念賞、朝日賞、日本学士院賞、藤原賞、文化勲章、ウルフ賞(イスラエル)、パノフスキー賞(アメリカ物理学会)など、数々の賞(章)を受賞(章)。 2002年、「ニュートリノ天文学」という新しい学問分野を切り拓いた功績により、ノーベル物理学賞を受賞。
現在、東京大学名誉教授、東京大学特別栄誉教授、公益財団法人平成基礎科学財団理事長、日本学士院会員。
著書に、『ニュートリノ天体物理学入門』(講談社ブルーバックス)、『ニュートリノの夢』(岩波ジュニア新書)、『物理屋になりたかったんだよ』(朝日選書)、『やれば、できる。』(新潮文庫)などがある。