1. PHPオンライン
  2. 社会
  3. 「イスラム国」日本人殺害事件の裏側

社会

「イスラム国」日本人殺害事件の裏側

丸谷元人(ジャーナリスト/危機管理コンサルタント)

2015年05月18日 公開 2022年12月19日 更新

 

「イスラム国」はアメリカやヨルダンと繋かつていた?

 ヨルダンにとっては、「イスラム国」が自国を交渉相手に選んでくれたことは本当にありがたかったに違いない。だがこのことは、おそらくヨルダン以上にこの国の戦略的価値を享受しているアメリカがもっとも望んだことでもあろう。そう考えると、これらの国々は「イスラム国」の「第四のグループ」とどこかで繋がっていたのではないか、とさえ疑いたくなる。

 「第四のグループ」に「プランB」を発動させることは、自らの隠れた政治的目的、つまりヨルダン国内のイスラム主義者の怒りを「イスラム国」に向けることで、アメリカの傀儡である国王の政治的安定を確実なものとし、もって同国を対中東政策における重要な戦略的橋頭堡とするアメリカ自身の安定的地盤をも得られることになる。つまり一挙両得という戦略であり、だからこそ、最初から単に利用するつもりだっただけの日本がまったく相手にされなかったのは、至極当たり前なのである。

 では、こんな「イスラム国」の「第四のグループ」が欧米の何らかの勢力と裏で繋がっているとでもいうのだろうか? そのあたりの真実が明らかになることは当面ないであろうが、少しでも何らかの繋がりがあったのだとすれば、彼らが白人とのハーフであるヨルダン国王とアメリカにとって大変に都合のよい「仕事」を手際よく行い、また、それまで自分たちを心情的に支持していたヨルダン国民の大半を一夜にして敵に回しても平気であったことが、すべて理解できる。

 実際、「第四のグループ」の裏には、欧米の影がちらついている。ビデオ映像の製作手法やメッセージの出し方は、欧米的に洗練された感覚と手法に彩られている。。

 また、後藤さんらを殺害した下手人の「聖戦士ジョン」には3人ものイギリス人候補がいたし、最近になって本物と確定したらしいモハメド・エムワジ容疑者は、6歳のときにイギリスに移住し、ロンドン西部の中流家庭で育った人物だ。エムワジはその後、ウェストミンスター大学でITと経営学を学んだが、イギリスの人権団体CAGEによると、以前からイギリス情報機関の接触を受け、「スパイになれ」とリクルートされたことがあり、それを断ると「やっかいなことになるぞ」と脅されていたともいう(「AFP通信」2015年3月2日付)。

 そんなことをほとんど知らなかったであろう日本政府は、ヨルダンに対して人質交換による後藤さんの救出を強く要請したが、再びアメリカから「人質交換は身代金支払いと同等だ」との圧力を受け、完全に四方八方を塞がれる状態になっていた。アメリカにすれば、「日本政府はアメリカの言うことだけはきっちりと守るから、妙な動きをされる心配すらない」というわけだ。

 そして後藤さんは殺害され、とっくの昔に焼殺されていたカサースベ中尉のビデオが流され、ヨルダン国王とアメリカにとっては、「世界一反米的なヨルダン国民」の怒りの矛先を一夜にして「イスラム国」に向け、その結果、傀儡であるヨルダン王室の安定と駐留するアメリカ軍に対する安全を確保する、というもっとも理想的な政治目的が達成されることとなった。

 とにかく不思議なのは、安倍総理がイスラエルを訪問し、そこで何を話すのかを事前に知っていたとしか思えないくらいに「第四のグループ」の反応は正確かつ迅速であった、ということだ。1月17日のカイロでの総理の演説から3日後、中東の多くの国々と対立してきたイスラエルを訪問中という絶妙のタイミングであんな映像を出すあたりも、すべてが事前に計算し尽くされていたようにさえ思える。このあたりは、まだまだ調べてみる余地があるだろう。

 今回の安倍総理の中東歴訪は、いったいどのような経緯で決まったのかも調べてみるとよいかもしれない。今回のスケジュールはどこか突然に決まった感があるが、訪問先はいずれも、親イスラエルとでもいうべき国々であった。しかも直前にパリでのあんなテロが起こったせいもあり、「積極的平和主義」を掲げる安倍総理であれば、拡大するテロリズムに対して日本も何らかの貢献をせねばならない、という強い思いが生じたであろう。あるいは、そこまで見越して計算し、中東歴訪を強く推したグループさえあるかもしれない。

 現地対策本部をヨルダンに置いたことについても、いくら時間がなかったとはいえ、人質交渉には適切な場所ではなかったと多くの人が感じていると思う。日本の一部マスコミが「ヨルダンは親日国だから、必ず何とかしてくれるはず」というよけいな期待を煽り、昼の情報番組などでも、マスコミはさかんにヨルダン政府の努力と親日性をアピールしていた。

 しかし、もし本気で相手国の「親日感情」に訴えるのであれば、トルコのほうがはるかによかったはずだ。日本と本当に仲の良いトルコは、「イスラム国」の一部と阿吽の呼吸にあり、2014年も多くの人質解放にも成功している。多くの人が指摘しているように、日本政府が本気で頼めば、ヨルダン以上に何とかしてくれたはずだ。しかも、後藤さんはトルコ国境からシリアに入っているなど、すべての舞台はシリア北方のトルコ付近であり、ヨルダンはその反対の南側であるから、地理的にも真逆なのである。

 日本の主要メディアが連日伝えたとおり、たしかにヨルダンは親日なのだろう。しかし、イギリス白人とのハーフであるヨルダン国王は、親日家である以上に大の親欧米派であり、親イスラエルなのである。過去のシリア内戦においては、多くの国民の反発にもかかわらず、アメリカやイギリス、フランスの軍の展開を許し、「イスラム国」とも対立する自由シリア軍に対して秘密の軍事訓練場所を提供してきたくらいだ。

 つまり、こんな欧米諸国の戦略拠点をベースとすることは、日本にとっては「イスラム国」に対し、「お前たちに敵対する」という明確なメッセージを与えるだけになる。

 日本政府にとってみれば、たしかに72時間という短い時間的猶予しかなかったのだろうが、あるいは、何としてもヨルダンに現地対策本部を設立させようとする「何らかの力」が働いたのかもしれない。いずれにせよ、日本はこうしてアメリカの戦略的橋頭堡であるヨルダンに「引き込まれた」のだ。

 もし、この推測に少しでも真理があるとするならば、湯川さんに対して真面目にイスラム式裁判を行うつもりであったグループから「第四のグループ」に管轄が変わった瞬間に、何らかの隠された計画か始動していた可能性さえあるだろう。その結果、後藤さんがおびき寄せられて人質となり、そして日本政府もまた、そんなことをいっさい知らぬまま、あのヨルダンや「イスラム国」が抱える闇のなかにずるずると引き込まれていった。日本はそんな相手に、いつものように大金を支払うことになるばかりか、今度は国民の命まで弄ばれ、挙げ句の果てにはすべてを失って、いつものように放置されただけだったのかもしれない。

 これが単なる思い過ごしであり、逞しすぎる想像力の産物にすぎないことを心から願いたい。しかしここにもう1つ、この仮説に真実味を持たせる話がある。それは、ヨルダン政府と「イスラム国」は、互いに人質交換など最初から成立しないことがわかっていたということだ。

《『なぜ「イスラム国」は日本人を殺したのか』より》

 

<著者紹介>

丸谷元人(まるたに・はじめ)

ジャーナリスト

1974年生まれ。オーストラリア国立大学卒業。同大学院修士課程中退。オーストラリア国立戦争記念館の通訳翻訳者を皮切りに、長年、通訳翻訳業務に従事。現在は、講演や執筆活動、テレビ出演などもこなす、国際派ジャーナリストとして活躍中。また、パプアニューギニアを始めとする海外での事業展開のほか、アフリカの石油関連施設におけるセキュリティ・マネージャーの業務を経て、海外セキュリティコンサルタントとしても活動中。コーディネーターとして海外大手テレビ局の番組制作や書籍の出版などにも参加し、2008年に制作した戦争ドキュメンタリー番組『Beyond Kokoda』は、地元オーストラリアで数々の賞を受賞した。著書に『日本人は本当に「残虐」だったのか』『日本の南洋戦略』『ココダ・遙かなる戦いの道(共著)』(以上、ハート出版)がある。

関連記事

アクセスランキングRanking

前のスライド 次のスライド
×