『無電柱革命』―これで日本の街は見事に美しくなる
2015年08月07日 公開 2022年10月27日 更新
無電柱化で街の景観が一新し、安全性が高まる
この国には現在3500万本もの電柱があり、日本の美しい景観に大きな悪影響を及ぼしている。電柱の害はそれだけではない。震災時には倒れた電柱が人命救助の妨げになる。阪神・淡路大震災の被災者へのアンケートで、回答者の76%が、倒壊した電柱で被害に遭ったと答えている。
欧米はもちろん、中国や韓国でも、無電柱化は確実に進んでいる。日本でも電線類地中化のための新技術が開発されており、2015年には「無電柱化推進法案」が議員立法としてまとまった。
本書『無電柱革命』では、かつてクールビズを実現させ、現在は無電柱化推進の中心的存在になっている衆議院議員・小池百合子氏と、無電柱化を理論面で支える社会経済学者・松原隆一郎氏が、「脱・電柱大国」への道を語る。
では、本書がなぜ書かれたのか、松原氏のメッセージをご覧ください。
電柱林立国家・ニッポン/松原隆一郎
本書のテーマである「無電柱化」は、国政のレベルでは1986(昭和61)年から旧建設省(現・国土交通省)の「電線類地中化計画」によって進められてきた。2015年現在までに29年間の実績があり、総延長では約9000kmの国道で無電柱化が達成されている。これだけの時間とコストをかけてきたのだから日本の無電柱化率はさぞ高まったはずだ、と考えて然るべきだろう。
また、1980年代から経済発展著しいアジア諸国でもさすがに電柱の撤去という先進国のぜいたくな公共事業には手が回っていないに違いない、そして日本が街づくりにおいてもアジア諸国では先導的な地位を占めているはずだ、と胸を張りそうになる。
しかし、ここに衝撃的なデータがある。見ると、2010年代に入ってもっとも進んでいる東京23区ですら無電柱化率は7%、この25年ほどで3%から4ポイント向上しただけである。倍加したとはいえ、遅々として進まないのが現実と知らされる。この数字は驚きではないだろうか。繁華街がごちゃごちゃした印象のある大阪市はなるほど5%、美しい伝統の街並みを求めて観光客の集まる京都市はもっと酷くてなんと2%。日本の道路事情は、こと電柱にかんする限り途上国状態のままなのだ。
それでも東京都は群を抜いて無電柱化率が高いことが分かる。以下、東京都の半分の数字を記録している第2位の兵庫県からなだらかに無電柱化率は下がり、最下位の茨城県となると0~1%の真ん中あたりにある。
この「無電柱化率」は、道路の総延長内での割合を指す。道路の長さはこの間さほど変わっていないから、遅くはあってもそのうちで電柱が立っていない区域は延びていることになる。ところがここには錯覚がある。というのも電柱の総数は1987年に3007万本だったが、2012年には3552万本。2008年からの4年間だけで27万本が増殖しているのだ。つまり電柱が立つ道路の長さは減ったにもかかわらず、残りの部分に近年でも毎年7万本のペースで新設してきたのである。電柱残存区域では、むしろその密度は年々高まっている。実感として電柱の圧迫感は、年々増し続けていると言ってよい。
では、海外はどうか。国土交通省が収集した下図のデータによると、ロンドンやパリは戦前から無電柱化率は100%。ベルリンも99%。つまりこれらの街に電柱はほとんど立っていない。またニューヨークでは1970年代の72%から40年間で83%へと着実に無電柱化を進めている。この急激な進展は、日本とは対照的というべきだろう。
出典:国土交通省データより自民党無電柱化小委作成(部分)
とはいえ日本の大都会がこうなのだから、経済で急追するアジア諸都市はほとんど無電柱化には手が回っていないと思われるかもしれない。ここでさらに目を疑う数字がある。ソウルが1980年代の17%から着実に無電柱化を進めて46%、マニラの高級住宅街・マカティ地区では40%(スラム街では盗電の電線が目立っているが)。ジャカルタでは各地への長距離列車の始発駅となるコタ駅周辺が35%、北京が34%、ハノイの日本大使館周辺が28%。つまり日本は一人負けの状態にあるのだ。
私が目撃した例でいうと、台北近郊の淡水ではすでに1990年代から電柱を見かけなかったが、2010年代になって台北駅周辺までもがなんと95%の無電柱化率を達成している。
この図から読み取れるのは、先進国では無電柱化が当たり前であり、そうなっていない場合は逐次進めているということだ。そして発展途上の国々でも、中心市街地や高級住宅街優先ではあるが鋭意取りかかっているということ。つまり「発展する」とは、電柱をなくすことと同義とみなされているのである。インドネシアやベトナム、フィリピンが中心市街地を優先しているだけとしても、ソウルや北京では全面的に取り組んでいるし、超高級住宅地である東京の田園調布にすら電柱が林立している日本の諸都市は、完全に取り残されていることを確認しておきたい。
つまり、各国の街づくりと国政・市政の当事者は、近代化は電柱をなくすことに表れるととらえており、民間企業もそれに応えていて、日本だけが例外となりつつあるのだ。日本の常識が諸外国と異なることはしばしば「ガラパゴス」と揶揄される。けれども本家のガラパゴス諸島では、ゾウガメやリクイグアナなど貴重な動物が特異な進化を遂げているし、鎖国中に江戸期の日本でも浮世絵や歌舞伎のように先端的にして奇想の塊のごとき個性的な文化が花開いた。これらは世界と遮断されたことが有効に働いた例であろう。
しかし現代においてガラパゴス化した日本で特異な発展を遂げたのは、無数の電柱群であった。海外からの観光客もその光景には目を疑っている。道路や空中は公共の空間であり、電柱や電線の外見はいわば廃棄物すなわち「ゴミ」なのだから、日本は公共空間がゴミ屋敷化した国とさえ言える。それは「電柱は経済発展とともになくすのが当然」という諸外国の常識を拒否したせいであるが、逆に海外からすれば、「日本の発展は電柱というゴミ処理を負担せず、公共空間に廃棄したことによってもたらされた」と映っても不思議ではない。
著者2人は、ともに1980年代から日本におけるこのような電柱・電線の多さに強い怒りを覚えてきた。松原は社会経済学者として、国の省庁や地方自治体、電気・通信事業者や国民の意識がどのようなものであり、それらの拮抗がいかにして電柱林立の現状をもたらしたのかを分析してきた。また小池は環境大臣当時に推進したノーネクタイ(クールビズ)慣行化に実績を有する政治家として、今回は政界・官界が無電柱化にいかに働きかけてきたかをつぶさに目撃するのみならず、みずから無電柱化基本法の制定に向け与党内で中心的な役割を担ってきた。
本書は、日本のみが不名誉な電柱林立状態にある理由を問い、どうすればそれを外国並みに解消できるかを模索している。執筆を分担しつつも、一書として流れがつながるよう編集した。松原は主に無電柱化に関係する諸団体の意識や行動を分析しており、小池は主に法制化へ向けた生々しい政界・官界の動きを、そのただ中から報告している。
阪神・淡路大震災、景観法制定、東日本大震災、2020年東京オリンピックという時の流れにおいて、無電柱化推進法が制定される現在は、電柱の増加が頭打ちとなり、無電柱化された道路が眼前に広がる未来へのターニングポイントである。本書から、「いま」を無電柱化の転換点にしようと願う人々の熱気を汲み取っていただければ幸いである。
松原隆一郎(まつばら・りゅういちろう)
社会経済学者、東京大学大学院総合文化研究科教授
1956年兵庫県神戸市生まれ。東京大学工学部都市工学科卒業、東京大学大学院経済学研究科博士課程単位取得退学。研究テーマは経済と街並み。「上を向いて歩こう~無電柱化民間プロジェクト」幹事長を務める。
著書に『失われた景観』(PHP新書)、『日本経済論』(NHK出版新書)、共著に『書庫を建てる』(新潮社)など。