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由来を知って四季を味わう『にほんご歳時記』

山口謠司(大東文化大学文学部教授)

2015年07月17日 公開 2024年12月16日 更新

《PHP新書『にほんご歳時記』より》

PHP新書『にほんご歳時記』

自然への想いを忘れないために作られた日本の歳時記

 日本ほど四季の移り変わりが美しいところはないと言われる。

 季節がなかったとしたら、そしてそれに心を寄せる思いがなかったとしたら、日本人の心は、いかに殺伐としたものになっていたであろうか。

 四季には、それぞれ色がある。

 たとえば、春は、桜のピンク色や新緑。

 夏は、木々の濃い緑色や空の青さ。

 秋は、紅葉に染まってゆく山の彩り。

 冬は、雪の白や冬枯れの灰色。

 さて、古代の日本人にとってもっとも美しいと思われたのは、青と紅だった。それは、これらの色が、とくに移ろいやすく、手許に留めておくことができないからだという。

 『万葉集』には次のような歌が載せられる。

  月草に 衣は摺す らむ 朝露に 濡れてののちは うつろひぬとも[巻七・1351]
(月草で、着物を摺り染めましょう。朝露に濡れれば色があせてしまったとしても)

 月草は、夏、6月から秋の初めの9月頃まで、日本全国どこにでも野辺に、美しい濃い空色に可憐な花を咲かせる露草のことである。

 この花で彼らは、衣を染めたのである。しかし、濡れるとすぐに色が変わってしまう。

 また、紅色については、大伴家持の次のような歌がある。

  紅は 移ろふものぞ つるはみの なれにし衣に なほ及し かめやも[巻十八・4109]
(紅花で染めた派手な衣はすぐに色あせてしまう、つるはみ〈ドングリ〉で染めた黒い衣は、地味だけど、着慣れてとても気持ちがいい。若い恋人より、長年連れ添ったお前の方がずっといい)

 こうして四季の移ろいに心を寄せていった日本人は、先人たちの心の動きと自然への想いを忘れないようにするために、独自の「歳時記」を作るにいたる。

 「歳時記」という言葉は、非常に古い。

 6世紀中葉に中国で書かれた『荊楚〈けいそ〉 歳時記』という書物にはじめて見えるが、これは、中国南方で一年を通じて行われる、それぞれの季節に応じた祭事や儀式、行事などを記したものである。

 そして、この書物は、我が国にもまもなくもたらされた。ようやく日本独自の文化が開き始めた頃のことである。

 季節の移り変わりも、言葉がなければ、ただ目に映って消えていくばかりである。

 一見、当たり前に見える四季それぞれのそれなりのことを、「歳時記」として、ひとつひとつの言葉にすることによって、我々の先祖は、「季節」を意識していった。そして、そのありがたさを想ったのである。

 その想いこそが、我々の「文化」を創り出してきた。

 たとえば、手紙や、日々のたわいもない挨拶に、時候を問うのは、我が国独特のものであると言われる。また、料理のみならず、小さなお茶菓子にも季節の物を映して、季節を味わうための心遣いがあったりする。

 些細なことではあるが、こんなことが、人との関わりの仲を取り持ち、優しさや豊かさ、和やかさを演出してくれる。

  季節のない街に生まれ
  風のない丘に育ち
  夢のない家を出て
  愛のない人にあう 
   ――[泉谷しげる「春夏秋冬」]

 こんな歌がふと浮かぶ。忙しい毎日、ほんの少しだけでも、「季節」というものに目を向けて、自分の心にそれを映すことができれば、渇いた心にきっと温かい風と夢と愛が溢れてくるのではないかと思うのである。

 

*本書では「四季をきちんと味わう大人になれる100の言葉」を紹介しています。ここでは、その中から2つご紹介します。

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