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優位戦思考に学ぶ 戦後70年と大東亜戦争

日下公人(評論家/日本財団特別顧問),上島嘉郎(ジャーナリスト)

2015年11月27日 公開 2022年10月13日 更新

「大空のサムライ」の述懐を汲む学者はいないのか

大東亜戦争失敗の本質 上島 石原慎太郎氏の『歴史の十字路に立って──戦後七十年の回顧』(PHP研究所)という本に、石原氏自らの筆でこう記されたエピソードが載っています。

〈平成6年の暮れ近く、私もアソシエイト・メンバーでいる外国人特派員協会の午餐会に珍しい客を迎える案内が来たので出席した。ゲストスピーカーはかつての大戦の撃墜王坂井三郎氏だった。

 冒頭、隻眼の氏はこう語った。

「私はご覧の通りあの戦争で片眼を失いましたが、後悔などまったくしていません。ただあの戦争で実に多くの優れた仲間と部下を失ったことは痛恨であります。彼らがもし今日生きてあるならば、数多の才能を発揮して素晴らしい貢献を国家のために為したでしょう。私はそれを信じて疑いません。
 彼らには年に必ず2度靖国神社で会って、その度報告をしています。貴様たちの死はけっして無駄ではなかったぞ。あの戦争のお蔭で、世界は明らかに発展して良くなったのだからなと」

 その途端聞いていた白人の記者たちの間に得も言われぬ空気が醸し出されるのがわかった。

 歴戦の撃墜王はそれを察してニコリと笑い、「だって皆さん、そうじゃないですか。あの戦争が終わってから国連に新しく誕生した国が数多く参加しましたな。今までに確か70数カ国ありますな。しかしその中に、白人の国を探せば、正確には違うのかも知れないが、強いていえばイスラエルただ一国だけです。あとは皆かつて植民地支配を受けた黄色、褐色、黒色の民族が独立を果たし、一人前の国として認められることになった。これすなわち人類の進歩に他ならない。そしてその事態を招くためにあの戦争は大いに意味があったということは、誰も否定出来ますまいに」と。

 会場は寂として声がなかった。私は痛快のあまり一人拍手したら、目の前にいた白人の若造のどこかの記者が振り返り険しい目で睨みつけてきたので、私は坂井氏に真似てニッコリ笑ってやったものだった。そうしたらその男がしばらくして途中で席を立ち上がり、私の前にいた日本人の客の手になにやら紙切れを渡してそれを私に手渡すように促し、そそくさと部屋から出ていったものだった。

 受け取った客は怪訝そうにテーブル越しにそれを手渡してくれたが、二つ折りされたそれを開くと中に、
 “Ishihara, you are ultra rightist, lunatic! ”
 と書いてあった。私を極右の狂人だと。

 彼らにとって正鵠を射られた腹いせだったろう。あの勝負はどう見ても我が日本チームの勝ちだった。〉

 日本の歴史学界には、この大空のサムライの述懐を汲む学者はいないのかと思います。少なくとも命を的に戦った人物の言葉に向き合い、その意味を史実の中に位置づける試みはできないのか。それどころか、石原氏に“You are ultra rightist, lunatic!”と書いた紙片を渡した白人記者と同じ立場ではないかと。

 日下 99%の歴史学者はそうでしょう(笑)。北岡氏の言う「99%の歴史学者」は、私に言わせれば、みな「劣位戦思考」の持ち主です。日本は戦争に負けたのだから、歴史認識も戦勝国の押しつけた物語に従わなければならない。そのなかで日本は生存を図っていかなければならないという自己検閲の意識です。

 学者は、だいたいイフの話を嫌います。定説にのっとって、それを解説するのが仕事です。

 もちろん自然科学の分野では発明、発見に挑んでいる学者がいますが、社会科学にそれは少ない。自然科学では証明を伴った答えが見つかりますが、社会科学はいろいろな要素が絡み合って一つの答えにはまとまらないから、いきおい多数派に与することが多い。

 戦後の日本の歴史問題で言えば、多数派は東京裁判史観を是とする側になる。

 私は、よく「拡散思考」の度合いを問題にするのですが、イフの話をたくさん展開できる人は拡散思考に優れているということです。その逆が「絞り込み思考」です。絞り込み思考でイフが少なければ、たしかに間違いも少ない。しかし、これは自らの思考を検閲しているとも言える。そこからは何も新しいものは生まれない。反対に拡散思考でイフにイフを重ねていくと、もしかしたら全部間違うかもしれないけれど、自由な発想、視点のなかで未来の可能性、新しい発見や価値が生まれるかもしれない。

 絞り込み思考の学者は、自ら仮説を立てて検証し、それを積極的に世に問うていくというよりは、“検査官”のようになっていく。サラリーマン社会を見ても程度の低い管理職ほどチェックばかりしている。マニュアルに当てはめて人を裁いている。学者で言えば、定説に当てはめて、外れている人をはじき出すようなものです。

 上島 大東亜戦争には、戦ったことを誇りに思える大きな意味があったのではないかという「イフ」はだめなのですね。

 日下 歴史について「イフを許さない」というのでは、歴史から教訓を導き出すことがあってはならない、と言っているのと同じです。そして、このとき大切なのは拡散思考なのです。「優位戦思考」と言ってもよい。絞り込み思考は劣位戦思考です。

 優位戦は、攻めることも守ることも自在、戦いのルールから、勝敗や和平の定義まで決められる立場から仕掛ける戦いで、劣位戦はそれらのイニシアティブがない立場からの戦いです。

 「日本は悪かった」「日本は間違っていた」というのは劣位戦思考から出てくる答えで、優位戦思考から歴史のイフを考えると別の答えが出てくる。そして、未来の日本に必要なのは、日本人の可能性を広げる別の答えなのです。

 帝国主義時代の常識は、大国は、国際紛争解決のルールをはじめ何事も自分たちが有利になるように決めて構わないということでした。その実力を有する国のみが交渉の場に参加できる。そしてルールを決めた後、弱小国に「このルールに従わないと酷いことになるぞ」と脅かす。ここで正義、不正義を論じても、ルールはそれを主導する力のある者が決めるのだという現実の前では空しい。

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戦勝国のつくった秩序、ルールの中で生存してきた戦後日本

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