「優位戦思考」で強い日本を取り戻せ
2014年04月24日 公開 2022年10月13日 更新
《『優位戦思考で世界に勝つ』より》
自力で運命を切り拓く意志を持つ
優位戦思考とは何か――。
アメリカの小噺に、こういうのがある。
〈メリーちゃんとマーガレットちゃんは大の仲良し姉妹でした。あるとき、「オヤツの時間ですよ」と言われて2人が行ってみると、テーブルにはケーキが1つしか載っていませんでした。メリーちゃんは「マーガレットちゃんの分がない」と泣き出しました〉
これが優位戦思考である。
メリーちゃんはケーキを確保できるうえ、「妹思いの、いいお姉さんですね」と褒められる。先んずれば人を制す。劣位に追い込まれることなく自分の利益を確保できる。
欧米の政治家や外交官、経済人は、そうした思考に長けている。国際貿易や産業・環境技術などの新ルールを中核メンバーだけで、自分たちが有利になるように決め、あとで日本などに参加を呼びかける。「入らないと孤立するぞ」と脅かすと、日本はあわてて飛んでくる。そして必死に追いつこうとする。これまでの日本はそうだった。
これが典型的な劣位戦である。
日本の外交官、学者、進歩的言論人、政治家は、この劣位戦が得意である。決められた枠の中でベストを尽くす達人、というよりもそれしかない。“実戦”経験の乏しい学校秀才が多いからで、与えられた授業内容の枠内で一生懸命勉強して、正解が決まっている試験に合格してきた。省エネなどの新国際基準が決まれば、直ちにそのルールで勝負し、最高点を挙げてみせるという自信があり、実際、実績も積んできた。
だが、自分で新しい枠やルールを設定できず、欧米が決めた枠やルールそのものがアンフェアかどうかには思いが及ばない。さらには、「日本が優れた新基準をつくって、世界に普及させる」という発想ができない。これでは欧米諸国がルールを変えるたびに後手に回ってしまう。
これが会社の仕事であれば、優位戦はこうなる。
新しい事業プランを示しながら、「これ、やりましょう」と上司に提案する。すると「他社を含め前例がない。リスクが大きすぎないか」と反対されるが、そんなときは、こう進言してはどうか。
「大丈夫です。もしも失敗したときは私が“腹”を切ります。降格、左遷されでも構いません。失敗は私のせいだと言われても、決して反論しません。また成功したら、あなたが命じてやらせたと言ってくださって結構です。私は何も話しません」
こう言えば、自由に思いどおりの仕事ができる。それで失敗したら、別の部署に行くか、別の会社に行って仕事をしようと覚悟しておけばよい。これがビジネスの世界における優位戦思考である。
これと同じように、自らリスクをとって責任回避することなく、「自力で運命を切り拓く意志を持とう」と国民に呼びかけたのが安倍晋三氏である。
安倍氏は、なぜ批判されるのか。なぜ危険視されるのか。それは氏が戦後日本の政治家にあって、類まれな優位戦思考の持ち主だからである。日本が「自力で運命を切り拓く国」となるためには、何が必要かを知っているのである。
現実の世の中は一幕芝居では終わらない
第一次安倍政権が倒れたあと、私はある対談で、「戦後体制からの脱却の意味がわからない、あるいはそれを認めたくないマスコミと国民は、いずれ安倍首相を喪ったことの大きな痛手を感じるときがくる」と述べた。それはまさに、3年余の民主党政権の混乱となって現れた。
民主党政権時代に日本がどれほど自らの存在を危うくしたかは、今さら事細かに語るまでもない。「日本を、取り戻す。」をスローガンにした安倍自民党が平成24年末の総選挙で圧勝したことが国民の反省と覚醒を示している。
芝居の世界には一幕物があるが、現実の世の中は一幕芝居では終わらない。第2幕、第3幕がある。では、“安倍義経”の第2幕に静御前はいないのか。義経の妾、静御前は義経の吉野落ちに従い、捕らえられて鎌倉に送られる。頼朝夫妻の求めに応じて鶴岡八幡宮で舞い、堂々と義経を恋慕する歌を歌う。
よしの山 みねの白雪 ふみ分けて 入りにし人の 跡ぞこひ(恋)しき
しづやしづ しづのをだまき くり返し 昔を今に なす由もがな
『吾妻鑑』には、御台所(北条政子)が自分も若い頃、暗夜、深雨を凌ぎ流人の頼朝のところへきた。「今の静の心の如し。柾げて賞翫したまふ可し」と庇ったとある。静御前の心は安倍ファンの心に通じる。
御台所の役を果たすべき評論家、文化人はいずこ、というのが私の思いだった。この心が国民の間にあれば、安倍氏が倒れても、「戦後体制からの脱却」という理念の重要性は国民に理解され、共感され、その歩みは続く。
故三宅久之氏が代表発起人となって発足した「安倍晋三総理大臣を求める民間人有志の会」に私も名を連ねたが、この会にはまさに、安倍氏の掲げる日本再興の志のために武蔵坊弁慶や静御前になろうという人々が集った。
私は同会発足時に、〈安倍晋三氏に再登板をお願いするに当たり、国民は反省して、まず自分が「強い国民」になることを誓わねばならぬ。私はそうする。今がそのときだ〉と述べた。
第二次政権発足から1年と数カ月を経て、私のこの思いはますます強くなっている。
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