1. PHPオンライン
  2. 生き方
  3. いのちの教育者、辻光文先生(2)~錨を下ろす港がない子どもたちと共に

生き方

いのちの教育者、辻光文先生(2)~錨を下ろす港がない子どもたちと共に

神渡良平(作家)

2015年12月03日 公開

生きているだけではいけませんか?

 小舎夫婦制の教護教育は子どもたちと生活しながらの24時間教育だから、大変といえば大変だ。しかし、子どもたちは裏表のない真実の愛には敏感に反応してくるから、極めてやりがいがある。

 教護は人間の一番の核心に触れるので、求道とも即つながっている。問題を起こした子どもを引き取るために警察署に行ったり、なぜ誠意が通じないのかと途方に暮れたりするけれども、それでも信じて見守り導いてくださっている御仏の光を発見する。

 教護の効果があったとか、なかったとか、そんなこざかしい思いを超えて、子どもの体の中で息づいているいのち! 途方もなく広い宇宙の厳粛なる事実! 御仏のいのちをいただいて、生かされて、尊く輝いている一人ひとりのいのち! 私たちはそのいのちを精いっぱい生きるだけでいいのだと辻さんは思った。

 絶対肯定! そして絶対肯定! さらに絶対肯定! 

 辻さんは臨済禅師がつかんだ感動的な宇宙観を「生きているだけではいけませんか!」という詩に詠んだ。長い詩なので、最後の三分の一の部分を紹介しよう。

そもそも人間とは、そしていのちとは、
この自分とは何なのですか。
「いのちはつながりだ」と平易に言った人がいます。
それはすべてのものの、きれめのない、つなぎめのない
東洋の「空」の世界でした。
障害者も、健常者も、子どもも、老人も、病む人も、あなたも、わたしも、
区別はできても、切り離しては存在し得ないいのち、いのちそのものです。
それは虫も動物も山も川も海も雨も風も空も太陽も、
宇宙の塵の果てまでつながるいのちなのです。
劫初よりこの方、重々無尽に織りなすいのちの流れとして、
その中に、今、私がいるのです。
すべては生きている。というより、生かされて、
今ここにいるいのちです。
その私からの出発です。
すべてはみな、生かされている、
そのいのちの自覚の中に、宇宙続きの、唯一、人間の感動があり、
愛が感じられるのです。
本当はみんな愛の中にあるのです。
生きているだけではいけませんか。

 私たちは問題児たちのおとなしくなった行動を近視眼的な目で、「教育の効果が出た」などと喜んでいる。期待に反する行動に直面すると、「裏切られた」と気落ちし、一度道を踏み外した者が立ち直るのは難しいと慨嘆する。

 でも、そうだろうか。

 そうではないと辻さんはいう。

「いのちはつながっているのです。自分の物差しに叶わないと切り捨ててはいけないのです。遠い太古の昔から、重々無尽に私に流れ込んでくるいのちを生き切るのです」

 辻さんは四角四面の規則の押し付けになりやすい道徳教育を脱して、子どもたちが御仏から授かっているいのちを全うさせようと努力したいのちの教育者だったのだ。

著者紹介

神渡良平(かみわたりりょうへい)

作家

1948年、鹿児島県生まれ。九州大学医学部を中退後、雑誌記者などの職業を経て、作家に。38歳のとき脳梗塞で倒れ一時は半身不随となるが、必死のリハビリによって社会復帰を果たす。そしてこの宇宙には大きな仕組みがあり、それに即した建設的で前向きな生き方をしたとき、実りある人生が築けることに目覚めていく。この闘病体験から、「人生は一度だけ。貴重な人生をとりこぼさないためにはどうしたらよいか」という問題意識が作品の底流となっている。近著に『中村天風人間学』(PHP研究所)がある。著書多数。

関連記事

アクセスランキングRanking

前のスライド 次のスライド
×