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生き方

いのちの教育者、辻光文先生(1) 少年少女の自立支援に生きる

神渡良平(作家)

2015年12月02日 公開 2015年12月03日 更新

いのちの教育者、辻光文先生(1) 少年少女の自立支援に生きる

『苦しみとの向き合い方』より一部抜粋

 

重々無尽のいのちのえにし

 京都・嵯峨野の鳴滝泉殿町にある黄檗宗法蔵寺。

 鬱蒼とした緑に囲まれ、かつて二条家の山屋敷だったところが、今は法を聞く善男善女が集う寺に変わっている。そこからおだやかな雰囲気の声が聞こえている。

「これから読み上げる『花語らず』という詩は、私の臨済学院専門学校(現花園大学)時代からの恩師で、臨済宗南禅寺の管長をされていた柴山全慶老師が詠まれたものです」

 声の主は大阪市児童自立支援施設・阿武山学園の教護(児童自立支援専門委員)辻光文さんである。辻さんは僧籍を持ちながらあえて僧侶にならず、中学校や養護学校の教諭をし、その後、教護院(現児童自立支援施設)に移って、道を踏み外した十数名の子どもたちといっしょに生活しながら、彼らの更生に尽力した人だ。

 花は黙って咲き
 黙って散っていく
 そうして再び枝に帰らない
 けれども、その一時一処に
 この世のすべてを託している
 永遠にほろびぬ生命のよろこびが
 悔いなくそこに輝いている

「私たちは普段、病気は悪いことで、健康は良いことだと考えています。貧乏は悪いことで、お金に不自由しないことがいいことだと考えています。ところがお釈迦様は、『そういう物差しを外して、何でもありがたい、これは仏様から頂いた人生の課題にちがいないと受け止めなさい』とおっしゃっています。

 今読み上げた柴山老師の詩が説いているように、今、ここで、自分に与えられた人生を甘んじて受け、素直に生きれば良いのです。そこに充実した人生を送るヒントがあるような気がします。いのちは深さだと、花は無言で語ってくれているような気がします。

 私たちがいただいている“いのち”は、重々無尽の果てしないつながりであり、不思議としか言いようのない縁の中にあるように思います」

 辻さんは物心ついてから、「人間にとって生きるとは何か」「いのちとは何か」「自分とは一体何者なのか」と思い悩んでいたが、臨済学院専門学校で教鞭をとっていた柴山全慶老師と出会い、その人格を通して本物の仏教を発見した。柴山老師から南禅寺で修行するようにと見込まれたが、在家仏教徒として生きたいと願い、結局は児童自立支援施設で22年間過ごした。晩年は花園大学で非常勤講師として社会福祉学を教えながら、学生相談室でカウンセラーをし、自宅を「えにし庵」と名づけて開放し、学びと憩いの場とした。

「御仏の教えは《縁》という言葉ですべて説明できるような気がします。大和言葉では“えにし”といいますね。すべては元々つながっていて、それがある縁で表に顕れてくる。ありがたいですね。感謝の何物でもないです」

 辻さんは施設を逃げ出した子どもを一晩中探し回ったこともあった、でもその彼らが人間とは何か、いのちのつながりとは何かを教えてくれましたと言う。

「かわいがってほしい子どもほどかわいくないことをするもんです。そんな子どもは敏感だからこちらの気持ちはすぐわかります。一瞬一瞬が真剣勝負だったので、教護院は“いい加減にしろ”と怒鳴りたくなる自分との闘いで、私にとって本物の修行道場でした。ありがたい場を与えられたと感謝しています」

 辻さんは寺院で修行をするのではなく、教護院を修行の場としたのだ。

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ひ弱な虚弱児童が中学の教師になった

著者紹介

神渡良平(かみわたりりょうへい)

作家

1948年、鹿児島県生まれ。九州大学医学部を中退後、雑誌記者などの職業を経て、作家に。38歳のとき脳梗塞で倒れ一時は半身不随となるが、必死のリハビリによって社会復帰を果たす。そしてこの宇宙には大きな仕組みがあり、それに即した建設的で前向きな生き方をしたとき、実りある人生が築けることに目覚めていく。この闘病体験から、「人生は一度だけ。貴重な人生をとりこぼさないためにはどうしたらよいか」という問題意識が作品の底流となっている。近著に『中村天風人間学』(PHP研究所)がある。著書多数。

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