耐えて頑張る? ポジティブ思考? それがあなたを追い詰めている!
2015年12月22日 公開 2015年12月22日 更新
「ポジティブ思考」という罠
ポジティブ思考には無理がある
わたしたちは、「頑張らなければいけない」のほかに、もう一つ別の罠に陥っています。それは、「ポジティブでなければならない」という、ポジティブ思考至上主義の罠です。
「すべてポジティブでなければならない」
「ポジティブが正解で、ネガティブはダメ」
という考え方は、実はわたしたちをとても苦しめているのではないでしょうか。
もちろん、後ろ向きのネガティブな姿勢でいることを推奨したいわけではありません。どんな物事にも、ポジティブな要素もあれば、ネガティブな要素もあるでしょう。
たしかに人生は、前を向いて生きていくほうが良いはずです。
しかし、すべてをプラスに考え、ポジティブに受け止めるようにして、いつも前向きでいなければならないとすれば、どうでしょうか?
間違いなく、その生き方は楽しくありません。そんな状態で、健康かつ自分らしくいられて、成果も挙げられるとは、とても思えません。
ポジティブもネガティブも、所詮は人間が勝手に意味づけをしていることなのです。
それに気づかず、「ポジティブでなければならない」という思考の罠にはまり、かえって苦しくなったり、つらくなったりしている人が実に多いように、わたしには思えてならないのです。
「朝5時からの早朝出社も“遅い出社”と捉えれば良い」とか、「嫌いな人も好きになれば良い」とか、「長い会議も“短い”と思え」とか、「負けていても“大丈夫だ”と考えろ」とか、「ゴルフでOBを打っても“よかった”と言ってみる」のは、どう考えても無理があるのではないか、と思います。
前向きに生きることを否定しているのではなく、現代にはポジティブ思考至上主義とでもいうべき流れがあるけれど、それにしたがって生きていても、実のところ前向きに生きているわけではないのではないか? ということを申し上げたいのです。
ポジティブ思考至上主義が自然体の思考を遠ざけている
赤ちゃんや幼い子どもは、「ポジティブ」などと言わなくても幸せそうです。
「ポジティブ思考でいなければ……」などと言い続けている幼い子どもはいません。
しかし彼らは、毎日ご機嫌で自分らしく生き生きとしています。
そもそも、ポジティブとかネガティブといった考えは、人間が後天的に「意味づけ」した概念にすぎません。
何か問題が起こったときに、あえてポジティブな姿勢で受け取ろうとするよりもあるがままに受け容れるほうが、実は自然体なのです。
あるがままの自然体、すなわちレット・イット・ゴーやレット・イット・ビーで生きるほうが、無理にポジティブであろうとするよりも、よほど力を発揮できるのです。
一体、人間はいつからポジティブ思考の罠に陥ってしまったのでしょうか?
実はこの罠、すなわち呪縛が生まれたのは、人間の脳の進化の一端でもあるのです。
文明の発展とともに脳が発達し、言葉とともにポジティブ思考至上主義の世界を形成していったのです。
正しいか間違いか、善か悪か、仲間か敵か、優か劣か、プラスかマイナスか、ポジティブかネガティブか……。そこには、あるがままの自然体を離れて、人間の創り出した意味づけを刷り込まれた「意味の世界」があります。
ポジティブ思考至上主義こそ、意味の世界の権化のような象徴です。
山もあれば谷もあるもの。それなのに、「山でなければならない」という概念を持ってしまうことで、山にいてもしんどく、谷にいればさらに苦しいと感じる人生を、わたしたちにもたらしているのです。
そう思いませんか?