「自分を責めてしまう人」が損をしないための方法
2015年12月16日 公開 2024年12月16日 更新
『自分を責めずにはいられない人』(PHP新書)より
自分の責任範囲を見きわめる
普段は自分を責めるようなことはあまりしない人でも、何事もうまくいかないときには罪悪感にさいなまれやすい。
たとえば、会社で業績がずっと低迷していると、閉塞感が漂っていることもあって、売り上げにそれほど貢献できていないことに罪悪感を覚えるかもしれない。
あるいは、家庭で妻がずっとイライラしていて子供に当たり散らしているのを見ると、自分が妻の愚痴を聞いてやってないからではないか、家事を手伝っていないからではないかなどと自分を責めてしまうかもしれない。
このような困難な時期は誰にでもあるはずだ。そういうときこそ「自分はダメだ」という思いが頭から離れず、ドーンと落ち込むものだ。もしかしたら、他人から非難されるかもしれない。そんなとき、どうすればいいのか?
まず必要なのは、自分を責めたり他人から非難されたりする原因になったことについて、自分自身の責任範囲はどれくらいなのか、できるだけ正確に見きわめることだ。場合によっては、自分が責められること自体がそもそも正当なのかどうか見きわめることも必要かもしれない。
というのも、何か問題が起こったとき、その責任が誰か一人にあるなどということはめったにないからだ。
一見すると見えにくいかもしれないが、ある問題が起こるのは複数の人間の失敗や怠慢がからみ合った結果であることが多い。また、誰かが自己防衛のために責任をあなた一人に押しつけるような場合だってあるだろう。
なので、たとえば職場では、次の点を見きわめなければならない。
1 誰かが注意散漫になっていたのではないか。
2 何を目指しているのかが明確になっていなかったのではないか。
3 情報がきちんと伝達されていなかったのではないか。
4 設備やマンパワーが不充分だったのではないか。
5 こういう困難な状況によって、むしろ得をする人間がいるのではないか。
また、家庭でも、
1 お互いに会話を避けていたのではないか。
2 お互いに相手に多くを望みすぎていたのではないか。
3 お互いに問題を直視することを避けていたのではないか。
というふうに。
罪悪感、思い込みに歯止めをかける
もちろん、責任が誰か一人にあるわけではないとはいえ、自分には責任はないなどと言い訳して逃げるようなことはしてはいけない。それでは単なる責任転嫁に終わってしまう。
そうではなく、過度に罪悪感にさいなまれ、もんもんと思い悩むような状況に陥るのを避け、現実的な解決策を探るためにこそ、本当に自分に責められるべき点があるのかどうか、検証するのである。
その結果、たとえば自分が適切な時期に適切な選択をしなかったことが問題を引き起こす一因になったことに気づいたとしよう。そんな場合でも、われわれは神ではないのだから、すべてを予測することはできないというふうに自分で自分を慰めてみてはどうだろうか。
これは、完璧主義のわなに陥らないようにするためにも、幻想的万能感を捨て去るためにも有効だ。自分は完璧でなければならないという考えにとらわれていると、完璧であろうとするあまり、困難な問題を自分一人で抱え込もうとする。
そうすると、自分の手に余る問題に直面したら、にっちもさっちもいかなくなって、ますます「自分はダメだ」と思ってしまう。そういう事態を避けるには、自分は神のような完璧な存在ではないのだから、ときには間違った選択をすることもあると自分で自分に言い聞かせる必要がある。
何でも自分一人で抱え込んで、自分で何とかしようとするのは、自分自身を過大評価しており、どこまでが自分の責任範囲なのかが見えなくなっているからでもある。
こうした過大評価の根底にはしばしば幼児期の幻想的万能感が潜んでいる。幻想の中で自分は何でもできるはずと思い込んでいるからこそ、自分一人で抱え込もうとするのである。だが、これはあくまでも独りよがりの思い込みにすぎない。
このような思い込みに歯止めをかけるためにも、やはり周囲の人とできるだけ話し合わなければならない。そうすれば、自分の落ち度はどの程度なのかということも、自分の責任範囲はどこまでなのかということも、他者のまなざしを通してある程度正確に把握できるだろう。
そのうえで、困難な現状を少しでも改善するためにはどうすればいいのかについて相談するといい。たとえ即効性のある解決策が出てこなくても、みんなで相談して悩みを共有することに意義がある。
第一、そのほうが、「自分はダメだ」と一人でもんもんと思い悩むよりもずっと健全だし、建設的である。