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難民・テロ・甦る国境……ヨーロッパから民主主義が消える?



2016年01月05日 公開

川口マーン惠美 《評論家》

PHP新書『ヨーロッパから民主主義が消える』より

 

ドイツ在住のベストセラー作家が渾身レポート

「ギリシャをEUから追い出すって? そんなことができるわけないよ。僕たちがヨーロッパなんだから」

デフォルトの危機に襲われていた最中、ギリシャではそんなジョークが流行ったという。

ヨーロッパという言葉は、古代ギリシャの女性、エウロペからきている。ギリシャ神話によれば、神々の王、ゼウスがある日、オリンポスの山から下界を見下ろすと、浜辺で可愛い乙女たちが遊んでいた。そのなかの一人がエウロペで、彼女を手に入れたくなったゼウスは、白い牡牛に変身して近寄っていく。ゼウスは女性を手に入れるためにいろいろな動物に変身した。それどころか、美女の寝室に忍び込もうと、黄金の雨に化けたこともあった。

さて、エウロペは美しい白い牡牛を珍しがり、その顔や背を撫でているうち、誘われるように乗ってしまう。その瞬間、牡牛は立ち上がり、海に入って泳ぎだし、エウロペは必死でしがみつくしかなかった。牡牛とエウロペはクレタ島に向かったが、その前にあちこちを駆け回り、その場所がのちにヨーロッパといわれるようになったとか。クレタ島でエウロペは、ゼウスの息子を3人産んだ。

EUの通貨である2ユーロ硬貨の裏側は、各国が自由にデザインできるが、ギリシャのそれは、エウロペを背に乗せた牡牛の絵だ。そこには、ギリシャのプライドが輝いている。

もっとも、ギリシャこそがヨーロッパの源だという認識は、たんにギリシャ人だけのものではなく、西ヨーロッパ人に共通の認識でもある。ドイツのギムナジウムの国語の授業では、ギリシャ悲劇が扱われる。ギリシャ悲劇は正真正銘の古典文学であり、日本の『古事記』のような位置づけだ。

ギリシャは、哲学、数学の祖ともいえる人物を輩出している。政治家はさらに多く、ここで民主主義が起こった。「デモクラシー」という言葉は、古代ギリシャが衰えるとまもなく衆愚政治と同義語になっていったというが、それでも今日考えられるなかではいちばんよい政体だ。ギリシャは、いろいろな意味でヨーロッパ文化の礎なのである。

そのギリシャの抱える問題が膨らんでいくにつれ、EU全体の亀裂がどんどん浮き彫りになっていったのはまことに興味深い。ギリシャの金融危機は、EUの内包する根源的な問題が表出するための「一つのきっかけ」であったのか。だとすれば、その根源的な問題とは何だろう?

1981年、ギリシャはEC(欧州共同体)に加盟した。ユーロ加盟は2001年だ。その際、巧みな粉飾があったことは、いまでは皆が知っている。ただ当時、誰も何も知らなかったとは思えない。感づいてはいたが、ヨーロッパの祖であり、民主主義の本家であるギリシャをECに加えたいばかりに、みてみぬ振りをしたのではないか。

忘れてはならないのは、冷戦下において、ギリシャは南欧を共産主義の伸長から防衛する重要な砦であったことだ。当時、ギリシャの隣国は、ことごとく社会主義を標榜していた。

同時にギリシャはイスラム文化圏に対する防潮堤でもあった。1453年から1829年までオスマン帝国に乗っ取られていたこの国が、再びイスラムに引き摺られるなどあってはならない。そのためには、全面的に支援するほかはなかったのだろう。ギリシャの攻防は、十字軍の意地の再現ともいえる。こうして1981年、ギリシャの加盟によって、ECはようやく「ヨーロッパ」としての体裁を整えたのであった。

1993年、ECはEU(欧州連合)となった。その目的はいうまでもなく、ヨーロッパの統合だ。彼らは祝福されたヨーロッパを信じた。「ヨーロッパは一つ」という言葉には、夢想的な響きがある。

しかしいま、そのEUは緊張と絶望にさいなまれている。ヨーロッパに民主主義の理想郷をつくるという夢は、かなり色褪せてきた。しかも、夢が壊れる引き金となったのが民主主義の元祖ギリシャであったのは、何とも皮肉なことである。

そのギリシャを何とかEUに留めようと、厳しい財政規律と構造改革を求めたドイツは、態度が高圧的であるとして嫌われてしまった。押し寄せる難民に対処すべく「EUの連帯」を打ち出すドイツに対しても、他のEUの国々の反発が強まっている。とくにEUの弱小国は、2011年、流れ着くアフリカ難民のあまりの多さに困り抜いたイタリアがEUに向かってSOSを出したとき、「イタリアに来た難民の保護はイタリアの義務だ」と冷たく突き放したドイツのことを忘れていない。彼らにしてみれば、「ドイツにEUの連帯などといわれたくはない」というのが本音なのである。

そのうえ、フランス人歴史学者エマニュエル・トッドは「『ドイツ帝国』が世界を破滅させる」といい、ギリシャでは「第四帝国」が口の端に上る。戦後民主主義の優等生として生きてきたドイツがそう評されることに、30余年、ドイツに住んできた私は複雑な思いにとらわれる。

そこにフォルクスワーゲンの不正ソフト問題が重なり、フランスで起きたテロ事件が拍車をかけた。難民にまぎれてテロリストが潜入する可能性は、以前より問題視されていたが、それを無視するかのように、無制限でシリア難民を受け入れていたのがドイツだった。盤石だったはずのドイツの足元は揺れている。

いまヨーロッパで起こっているのは、共産主義にも匹敵する人類最大の社会実験がガラガラと崩れていく事態である。テロ、難民、財政問題、そしてナショナリズム……ドイツは、そしてEUは現在どうなっているのか、なぜその矛盾は解消されないのか、民主主義はこれからどう進化していくのかを、本書ではできるだけ現地の情報や温度を意識しながら語ってみたいと思う。その本質に少しでも近づくために、前段では迂遠なようだがあえて、民主主義というものの起源やEU統合の歴史にも触れている。過去を知らずして、未来を語ることは不可能だからだ。

そして、それは私たち日本人にとって決して「対岸の火事」ではない。ますますグローバル化が進むなかで移民問題や自由貿易の問題など、日本とヨーロッパが直面する課題は本質的に似通っているからである。

ドイツの苦境やフランスの矛盾が指し示すことは何か。それは日本にとって貴重な学びになると同時に、自国の強みをも教えてくれるにちがいないだろう。

ヨーロッパから民主主義が消える



著者紹介

川口マーン惠美(かわぐち・まーん・えみ)

作家、拓殖大学日本文化研究所客員教授

1956年大阪府生まれ。ドイツ・シュトゥットガルト在住。日本大学芸術学部音楽学科ピアノ科卒業。シュトゥットガルト国立音楽大学大学院ピアノ科修了。
著書には、ベストセラーになった『住んでみたドイツ 8勝2敗で日本の勝ち』『住んでみたヨーロッパ 9勝1敗で日本の勝ち』(以上、講談社+α新書)のほか、『フセイン独裁下のイラクで暮らして』『ドイツの脱原発がよくわかる本』(以上、草思社)、『ドイツ流、日本流』(草思社文庫)、『ベルリン物語 都市の記憶をたどる』(平凡社新書)、『ドイツで、日本と東アジアはどう報じられているか?』(祥伝社新書)などがある。

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