牧山純子 ジャズのなかにはいろいろなエロスがある
2016年03月05日 公開 2016年03月16日 更新
エロスって何?
普段の生活(演奏中も)でエロスについて考えることなど皆無といっていい私ですが、今回、本書(PHP新書『ジャズとエロス』)執筆のため、エロスについて勉強してみました。そしてエロスについてこんなにも真剣に取り組んだのは、人生初の経験です。
崇高なエロスとは哲学的であり、芸術性もあり、官能的であり、神秘のヴェールに包まれています。一方、崇高なエロスと対極なエロスとは、俗にいう「エロい」といわれるもの。
同じシチュエーションでも、人それぞれエロスをどう感じるかは異なります。男性と女性とでもエロスの感じ方は違うし、年齢によっても感じ方は違ってきます。
学術的なエロスが正しくて、下世話なエロスが間違っているなんてことはありません。それらすべてを含めて、エロスなのです。
程度に差はあれど、人間は好きになった相手を自分のものにしたい、という思いは本能だと思います。その思考の過程を言葉で紡ぎ合わせるために、エロスの理解は必要不可欠なもののように思えます。
そう考えると、エロスの定義があまりにも幅広いため、どこから手をつけていいのかわからず、途方に暮れました。ジャズヴァイオリニストとしてアプローチするのだから、音楽的エロスについて考えてみようと思ったのですが、そもそもエロスとは何か……まずはここから始めて、音楽的エロスにどのように結びつくのかをみていこうと思います。
エロスの本来の意味を調べてみると、ギリシャ神話で「愛の神(ローマ神話のクピド:英語ではキューピッド)」、または「性愛」「理想的な愛」のことを意味するそうです。
性愛、理想的な愛という意味は知っていましたが、キューピッドだとは知りませんでした。キューピッドといえば、ついマヨネーズのキャラクターを思い浮かべてしまうのですが、私たちがよく知る羽の生えたキューピッドは、ルネッサンス以降の宗教画に描かれるようになったそうです。
一般的にエロスというと、官能的なイメージを思い浮かべる方が多いと思われます。私も最初、「ジャズとエロス……どうやってエロい話を書けばいいのか」と、見当違いのことを考えていました。「エロス」と「エロティシズム」の違いも知らなかったためです。
日本語の「愛」という漢字には、この一文字でいろいろな意味を含んでいます。一方、西洋ではエロスのほかにルーダス(遊戯的な愛)、ストロゲー(友愛的・家族的な愛)、プラグマ(実利的な愛)、マニア(狂信的な愛)、アガペー(博愛的な愛)があります。その頂点に位置するのがLOVE(愛)なのではないでしょうか。
エロスの対極にあるのが「タナトス」。ギリシャ神話で「死の神」の名前とされています。
エロスを「生の欲動」とするならば、タナトスは「死の欲動」だと、精神分析学者のジークムント・フロイト(1856−1939年)が本能の二元論を唱えました。人は「生」に執着する半面、「死」に対する憧れのようなものがあるのでしょうか。
音楽においてエロスとタナトスを考えたとき、聴衆は音楽を聴くことで「生きる力(ポジティブ)」を得ているのだと思います。それこそ、エロスの一つではないでしょうか。
一方、レクイエムのように死者を弔う楽曲もありますが、ある意味これは音楽的タナトスといえるかもしれません。しかし、対自分として考えたとき、音楽的タナトスはあるのでしょうか。思いっきり泣きたいときに聴く曲はありますが、この曲を聴くと死にたくなる、というまるでホラー映画の題材(効果音的サウンドは別として)のような音楽は、実際には思いつきません。
音楽には本来、人の心をポジティブな方向へ導く力があると思います。
あらゆる生命体は、子孫繁栄のために「性」という営みをします。そのなかで人間だけが、性を本能だけではなく、芸術という素晴らしい手法で表現することができます。文明を手にした人類だけが、性をエロスという概念にまで高めたのです。
異性だろうと同性だろうと、好きになった人にモテたい、ふり向かせたい、愛を伝えたいという思いが、エロスの根底にあると思います。そのモチベーションこそが「生きる力」ではないでしょうか。私なりにエロスと音楽のつながりに結論づけをすると、エロスとは「生きる力」といえるのです。