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小澤征爾 指揮者を語る

2014年08月05日 公開

語り:小澤征爾 インタビュー:NHK 有働由美子

100年インタビュー制作班編『小沢征爾指揮者を語る』より

小澤征爾 指揮者を語る
 

 音楽と表現

「悲しい」とか「さびしい」、そういう言葉があるけど、音楽の場合は、作曲家が悲しいと書いても、どのぐらいまで悲しくやっていいかは、書いていないんですよ。

そして、その悲しさの度合いは、人によって全然違う。

その悲しさが、震えちゃうぐらい悲しいのか、それともさびしさが入っている悲しさなのか。あるいは、ほんとにもう悲しいのが中に入っちゃって外には出てこないのか、泣いちゃうぐらい悲しいのか……。その度合いの幅というのは、とても広い。

そこで、それを決めていくためには、演奏家の判断が必要になってくるんです。

音楽の場合は、言葉で悲しいと書くよりも、それ以上にうんと幅が広いと思う。

――その「悲しい」のレベルは、小澤さんは何から定めるのですか?

……結局それはね、人間性だと思うんですよ。

これまで生きて、悲しみを味わった経験。

悲しみは、人から教われないからね。自分でわかんなきゃ、わかんないわけだから。

若い頃わかんなかったことが、いまはいろいろな面で悲しむ。

人の悲しみを見たり、自分が悲しんだり、悲しい物語をたくさん読んだり、悲しい音楽を聴いたり、まあ悲しいのを題にしているから「悲しい」んだけれど、

「うれしい」でもいいんですよ。

言葉よりも音楽の場合はね、本当にニュアンスの差がちょっとで違うから、幅というか高さなのか知らないけど、奥深いんですよ。

それを指揮者の場合は、意識してやっておかないと、味が出ないっていうかね。

結局、お客さんは、音楽会に来てそういうことの幅があったり、高さや深みがあったりすることで、その曲の一番いいところを聴いたなあ、と満足してくれるわけですよね。

その楽譜に書いてある通り、非常に几帳面にやって、規則に合ったことをやって、「はい、これで終わり」の演奏会をされたら、みんなバカバカしくなって、音楽会に来なくなっちゃいますよ。

ある意味酷いですね、指揮者の人間性を見に来ているっていうことで。

それは指揮者だけじゃなく、それを演奏する一人一人も。一人一人がそれを知らなかったら、出てこないですからね。

僕は音楽塾の、指揮をしています。その人たちは若くて素晴らしい才能だけど、本当の悲しみとか、うれしさ、楽しさなんていうのも、案外、まだあんまりわかっていない人も、いるんですよ。

特にずっとまじめに勉強をして、一所懸命に技術を勉強した人ほど。

それを、こうだよって教えることは、とってもやりがいがあります。そういうことがわかるから、これをこう教えたら、もっとよくなるって。

それでいい演奏家はね、若くて経験はなくても、わかる人はわかる。不思議と。で、それがまた身になっていく。

さっき僕自身が悲しみをわかるだけじゃなくて、楽員さんもわかんなきゃいけないって言ったけど、その悲しみも、実際にその悲しみを体験しなくても、そういう悲しみが人生の中にあるってことを、わかっただけでもだいぶ違うと思う。

自分の悲しみでも、他人を見た悲しみでも、材料になるんですよ、自分の中で。

そういう意味では、音楽は、非常に「個」の強いものです。

一人一人の経験の中から、じわじわっと出てくる。

――では、その悲しみを表現するときに、日本人であることのハンディキャップはありますか?ドイツ人ではないという。

そう、それがね、こりゃもう絶対あるよ。

――ある?ドイツ人の悲しみ。

絶対ある、それはね。なぜかっていうと生活と関係がある。

例えばベートーベンを材料にすると、ベートーベンはドイツで生まれ、ドイツの言葉で生活していたドイツ人なわけで、その悲しみは、我々東洋人のものとは異なる。

中国人と日本人でも、韓国人と日本人でも、違うじゃないですか。悲しみに対する表現の仕方も。

それくらい違うんだから、ドイツ人と東洋人では、うんと違う。その辺がどうかっていう問題になるとね、ここでは時間が足りないくらいに話が難しいね。

だけども音楽っていうのは面白いもので、ベートーベンあるいはモーツァルトまでいくと、ね、そこの生まれた土地だけで解決する悲しみとか、うれしさとか、楽しさ、幅広さ、だけじゃないような気がするんですよ、僕は。

あの、要するに、オーストリアのザルツブルクで生まれたモーツァルトが書いているものは、その土地の、その人たちの悲しみとか喜び、幅広さとか、うれしさだけの意味で書いているとは僕には思えない。

もっと高いところにあると思う号の芸術ってものは。

ベートーベンやモーツァルト、彼らがつくった音楽は、その土地柄だけのものじゃなくて、純粋な音楽をつくっているから、どんな人間でも、その人なりに理解できるんだと思う。

それは悲しみであり、力強さであり、楽しみであり、というふうになってきていると思う。そう思うから、僕はこうやって指揮者をやっているんですよ。

僕が思うこの悲しみは、この人たちとは違うんだ、と思ってはやってはいないんですよ。

さっき僕は、「東洋人と西洋人は違う」ってはっきり言いました。

だけど、どっかではつながっているんだと思う。

世界共通、人間の感情は。

言葉は全然違うけれども。あいうえおとABC、フランス語とドイツ語、イタリア語と日本語、韓国語と中国語では、全く違う感情があったり、悲しみがあったり、泣き方があったりするけれど、もっと底まで入ると、人間の共通面があると思うんです。

言葉なんかを超えた、と信じているわけ、僕は。

だからこうやって、指揮者をやっているんです。

僕は前にも、実験しているって言葉を使いましたけど、本当に大変なことをやっているんですよ、これは。だけど絶対に正しいと思っている、僕が。

東洋人でもモーツァルトを真のところでつかまえられると。

ベートーベンも本当に真のところでつかまえられると。

ドイツ語のアクセソトはつかないけれど、オーストリアのザルツブルクのアクセントはつかないけど、真のところではつかまえられると。

それを再現できると、自分では思っているんです。

……だけども、これは僕が死んでから、あの、みんながというか、お客さんとかが、そういう判断をするかもしれない……。

 

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