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無趣味に悩んでいる大人へ~成毛眞流「遊び」のすすめ 

PHPビジネス新書『大人はもっと遊びなさい』より

2016年09月08日 公開 2023年01月10日 更新

成毛眞

遊びに勝ち負けを持ち込んではならない

「遊んだほうがいいのは、うすうすわかっていた」という人もいるだろう。私に「もっと遊べ」と言われるまでもなく、無趣味であることに悩んでいる人も少なくないはずだ。「趣味は何ですか」と聞かれて答えられない人は案外、多いのではないか。その中には、実際に無趣味な人もいるだろうし、好きなことを「趣味」と公言するのにためらいがある人もいるだろう。

年に2回サーフィンをする、月に1度、楽器に触れる。そういった人は、サーフィンを20年間続けていますとか、休日には地元のオーケストラでビオラを弾いていますといった話を聞くと、「負けた」と思ってしまうのだ。

だからこそ、「ちゃんとした」趣味を持ちたいと焦ってしまう。人に誇れる「立派な」趣味がないことを、恥じてしまう。

趣味を問われて、つい「特にありません」と言ってしまう人が少なくないのは、生真面目で、常に上級者がいることにおびえているからだ。

映画鑑賞を趣味と言うからには、せめて『第三の男』と『七人の侍』などの古典は観ておかなければと思ってしまう。それどころか、フランシス・コッポラの作品はすべて観ておくべきでは? やはりクエンティン・タランティーノの作品くらいは押さえておかないと……などと考えてしまう。上級者に、「えっ、観てないの?(それで映画鑑賞が趣味だとでも言うつもり?)」と言われるのが怖いのだ。だから、映画が好きだと思っていても「自分の趣味です」と口にしにくい。

何かのコレクションをしている人でも、自分とは桁違いのコレクションを持っている人の前では、沈黙してしまう。別に、それで人間の序列が決まるわけでも何でもないのだから、好きなものの話をすればいいのに、あたかも、流暢に英語を話す日本人の前では口をつぐんでしまう、片言の英語しか話せない日本人のように寡黙になる。

その点、私は無趣味であることを誇りに思っているし、そのときに気になることがあれば「今、ハマっているのはこれです」と言ってしまう。言ってしまうどころか、楽しくその話をして回り、仲間を増やそうとすらする。

なぜなら、遊びとはその程度のものだと思っているからだ。
遊びに優劣はない。ねばならないもない。好きに楽しめばいいのである。

私はノンフィクションの書評サイト『HONZ』を主宰しているが、これは、本は好きなものを好きに読むのが一番だと思って始めたものだ。やれ古典だとか、やれ大作家だとか、ベストセラーだとかいうことは、重要ではない。

単に面白いと思う本を読むことが楽しいので、その面白さを、同じ考えを持っている人と共有したいと思ってスタートさせたのがHONZ なのである。読書は高尚な趣味であるどころか勉強の手段で、難しい本をたくさん読んでいるほうが偉いと思い込んでいる人が多いからこそ始めた逆張りのサイト、それがHONZ だ。

その視点で趣味と言われるものを見回してみると、いくらでも新しい視点で面白がれるし、楽しめる。

独自の解釈が評価されている三省堂の『新明解国語辞典』によると、「趣味」とは、

1)そのものを深く知ることによって味わえる、独自の良さ。

とあるが、私の中での趣味は、解釈の2のほうである。

2)[利益などを考えずに]好きでしている物事。

作曲家の名前を知らなくてもクラシック音楽鑑賞を好きだと言ってもいいし、あまり持っていなくてもスニーカー集めを楽しんでいると言ってもいい。好きなことを楽しむのに、ルールはないのである。

それでもなお「趣味」と公言するのがはばかられると思うなら、「最近ハマっている遊び」と言い換えてはどうだろうか。これなら、勝ち負けは関係ない。自由気ままに遊んでいるうちに、それが自ずと趣味になる。

遊びは誰かと競うべきものではない。
ただ、知っておいたほうがいいことがある。それは、上には上がいるということだ。

私はこれまでかなりの時間を読書に割いてきたので、本を読むのが好きだとは言うし、最近読んで面白かった本の話もわりと大きな声でするが、誰よりもたくさん本を読んでいるとは絶対に言わない。それは、私の周囲という限られた範囲だけでも、確実に私よりたくさん読んでいる人がいるからだ。

数を競うものではないのだが、より多く読んでいる人の前で「たくさん読んでいる」と言ってしまうのはやはりどこか恥ずかしい。

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