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なぜ人は不正を犯してしまうのか~鍵山秀三郎

『衆知』編集部

2016年09月30日 公開 2023年01月19日 更新

鍵山秀三郎

結果主義が問題

深刻なのは、不正は決して企業だけではないことです。このような問題から最も縁遠いはずのスポーツの世界でも、不祥事が起こっています。能力的に素晴らしいプロの一流選手なのに、禁止薬物に手を出したり、反社会的組織の関係者と人脈を持ったりして身を滅ぼした人もいます。スポーツの意義、素晴らしさを考えれば、本来見本になるべき選手が、なぜ誰でもわかる愚かなことをしてしまうのか、不思議に思うくらいです。

こうした不正が起こるのは、企業の場合でもスポーツ選手の場合でも問題の本質は同じだと思います。それは努力の過程よりも結果を評価する成果主義に偏重しすぎているからにほかなりません。企業では理念や哲学が大事とはいうものの、やはり利益がすべてに優先する。スポーツの世界でももちろん練習する姿勢は大切だけれど、やはり結果を出す人が優遇される。これは、世の中全体が成果だけを認める社会になってきたからです。

ある一流選手の賭博スキャンダルが露見しました。報道は驚きをもって伝えていましたが、本当は、親しい周囲の人たちはある程度察知し、かなりの危惧を抱いていたと思います。わかっていながら止められなかっただけなのです。なぜなら、彼が人の喜ぶ結果を出し続けていたからです。だから、つい甘やかしてしまったのでしょう。成果主義の怖さがここにあります。スポーツでは「健全な肉体に健全な精神が宿る」と言われますが、これは反対で、「健全な精神に健全な肉体が宿る」のです。

よく「緊張や束縛が取れ、締まりのない状態になる」ことを指して、「たががはずれる」と言います。この「たが」とは何かを日本人は忘れてしまったのかもしれません。「たが(箍)」とは桶や樽の外側を締めている輪のことです。「たが」があるから形になる。あの輪がなければ、桶も樽もあっという間にバラバラになって、原形を留めることができません。

バラバラになって初めて、「たが」の大切さがわかるのです。今の日本も成果主義に惑(まど)わされず、本来何が大切なのか、「たが」を締め直す必要がありそうです。

 

「恥の文化」の貴さを認識しよう

もう一つ指摘しておきたいのは、日本人が持っていた「恥の文化」を忘れてはならないということです。「人に見られて恥ずかしいことはしない」というのが、日本人共通の美意識でした。考えてみれば、この「恥の文化」こそ、日本人にとっては最も大切な「たが」の役割を果たしていたのです。その恥に対する感覚がなくなってしまったことが、今日の状況につながっているのだと思います。

なぜそうなったのか。それは、日本の教育の内容が変わってきたからだと考えられます。人間性を見るのではなく、人間の能力だけを見る。だから能力の分析や測定、数値化が過大視されていく。つまり、生徒を測るものが試験の点数に限られ、それをいかに上げるかが、優先されているのです。

昔ならば「修身」という授業の貴さや掃除の意義といった、分析・測定が不可能なものが大切にされました。今はこの大切なことが失われてしまい、さして重要視されていません。こうした現実が日本の教育を緩ませ、社会全体に微妙な影を落としていると私は思うのです。道徳を重視し、日本人のよき「恥の文化」の貴さを改めて認識するべきだと思います。

マネジメント誌『衆知』2016年9・10月号、「鍵山秀三郎の幸福論」より転載

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