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日本有数のコインパーキング企業を育てた59歳起業家の人材育成と活用法

野坂弦司(日本システムバンク創業者)

2017年02月23日 公開 2023年01月12日 更新

女性とシニアが活躍しない会社は滅びる

日本システムバンクは、当初から女性を積極的に採用してきました。先ほどお話ししたように、人間には差がない、男性も女性も仕事の上では同じだと考えているので、優秀な人はどんどん採用し、昇進もしてもらいました。

当社には、20代で役員になった女性がいます。経理の道一筋にやってきた人で、結婚・出産後も活躍してくれています。彼女は役員会の席で辛口の意見を言ってくれる貴重な人材で、子どもに授乳中の期間は朝の役員会に出席できなかったので、私は彼女の復帰を心待ちにしていたくらいでした。

福井県は、女性の就労率ナンバーワンの県です。福井の女性は辛抱強くて働き者です。辛抱強いということは、定着率が高いということです。それなのに「女性だからお茶汲みでいいだろう」という発想で雇用するのは、優秀な人材をむざむざ見過ごしているようなものです。中高年の雇用についても、私は積極的に行っています。優秀なら、性別も年齢も学歴も関係ないのです。

創業当時から終身雇用を掲げているのも、当社の特徴でしょう。なぜ終身雇用なのか。理由はシンプルです。同じ会社で同じ仕事をしていたほうが、安心して働き続けられるからです。私は、日本人には終身雇用という制度がぴったり合っていると思っています。会社を転々と変わり、実力をつけていくアメリカ式のキャリアアップの仕方もあるでしょう。しかし、職場をすぐに変わってしまう人は「前の会社のほうがよかった」と文句を言って周囲を混乱させ、和を乱す傾向があります。協調を大切にし、自分のエゴだけで行動しない日本人の場合、終身雇用によって一生勤勉に働ける環境を提供したほうが、その人の成長にも有効です。

私は、定年の年齢も延長すべきだと考えています。いまのシニアは元気です。年齢を重ねても活躍できる場を提供するのは、経営者の一つの責務ではないかと思っています。そう信じて、当社では早くから60歳ではなく65歳定年制を導入しましたが、高齢の社員はみんな生き生きと元気に働き続けています。年配者を尊敬し、その知識や経験、ノウハウを次の世代へ引き継ぐ土壌を作る。これこそ企業発展の秘策ではないでしょうか。

 

会社の代表は一人ひとりの社員

日曜日、社長室へ入ると、私は不思議な感覚に包まれていました。妙な孤独を感じるのです。日曜日は社員が誰もおらず、社内はガランとしています。人っ子一人いない静かな雰囲気の中で、私は自分の無力さに思いを至らせたものでした。

社長は会社の代表であり、会社は社長の力量と努力次第で大きくも小さくもなると言われます。しかし日曜日、静かなオフィスで一人、社長室に座っていると、その言葉は決して正しくないと実感するのです。日本システムバンクは、社員300人足らずの中小企業です。私はその代表ではあるものの、本当の代表は誰かを考えてみると、その答えは明白でした。会社の代表は社員です。社員こそが会社そのものなのです。私は社員一人ひとりの顔を思い浮かべて、ひそかにねぎらいの言葉をかけました。「よくやっているね」「ありがとう」。日曜日の社長室は、社員の大切さを思い起こさせる貴重な場所なのです。

私は、武田信玄の「人は城、人は石垣、人は堀」という言葉が好きです。社員の大切さをこれほどうまく表現している言葉はないでしょう。人の結束が破れれば、どんな堅固な城でも落城してしまう。しかし、社員全員が火の玉の結束を固め、困難な状態に体当たりしていけば、必ず閉塞状態を切り開ける。自ら新しい風となって、城をますます発展させてくれます。

会社は誰のものかという議論がありましたが、私は、社長のものでも株主のものでもないと思っています。会社は「社会の公器」です。その代表が社員たちです。だからこそ、雇用を確保して働く場所を提供しなければならないし、利益を上げて税金を納め、社会へ還元しなければなりません。それを実現するために経営の腕を振るい、社員の育成に汗を流す人材こそが「社長」だと思っています。

 

野坂弦司(のさか・げんじ)

1937年、滋賀県長浜市生まれ。1959年、同志社大学経済学部卒業、三谷商事入社。1980年、トヨタビスタ福井に出向し代表取締役。1984年、三谷商事取締役、常務・専務を経て顧問。1994年、三谷設備代表取締役に就任し、1996年に退社。同年に日本システムバンクを設立し、全国でコインパーキング事業を展開。10年間2ケタ成長を遂げるなど、同社を全国で有数の企業に育て上げた。2007年、同社取締役会長。2012年、福井市にブータンミュージアム(NPO法人幸福の国)を設立し、理事長。2016年、日本システムバンク会長とNPO法人幸福の国理事長を退任し、新しい活動へと踏み出している。  

※本記事は、野坂弦司著『幸せの種をまく人生』より、一部を抜粋編集したものです。 

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