海外勤務のない私が超巨大グローバル企業の幹部になれた理由
2017年05月15日 公開 2024年12月16日 更新
どんな不利な状況でも勝ち続けるのがリーダーである
私自身を振り返ると、ネスレ入社以来、私は自分に「どんな時でも勝ち続ける」という条件を課してきた。
そして実際に、30年以上に渡って自分に与えられた目標を達成することで、「世界で通用する人材」として、認められてきたのである。
新人営業マンだった千葉支店時代には、当時まったく売れていなかった「マギーブイヨン」の販促キャンペーンを発案し、売上を急増させた。
他社の人気商品であるカレールーの横に置かれたリーフレットに記載された「カレーの作り方」に「ブイヨンを2個入れてください」と書かれているのを発見し、そのカレールーとセットで販売することをスーパーマーケットに提案したのだ。
これがきっかけとなり、30年経った今でも「カレーにマギーブイヨン」という販促キャンペーンは全国で続けられている。入社1年目の自分が発案したことが、現在も会社の売上に貢献できていることをとても誇りに感じている。
41歳でネスレコンフェクショナリー(ネスレ日本の菓子事業を展開する子会社で、現在はネスレ日本に吸収合併)のマーケティング本部長に就任してからは、「キットカット受験生応援キャンペーン」を成功させた。
「キットカット」が九州弁の「きっと勝っとぉ」に発音が似ていることから、はじめは九州で、さらに全国へと受験生の間で「キットカット」がお守りのような存在として広まり始めていた。そこで、「キット、サクラサクよ。」というキーメッセージとともに受験生を応援する活動を全国で展開したのだ。
最初に始めたのはホテルとの取り組みで、地方から上京した受験生が宿泊するホテルに協力してもらい、試験に向かう前にフロントスタッフから「キットカット」と桜満開のメッセージカードを手渡してもらった。これが受験生の間で評判となり、「うちでもぜひ行いたい」というホテルが急増して、「キットカット=受験生のお守り」というイメージは瞬く間に定着していった。
この現象が新聞やテレビで取り上げられると、受験シーズンの売上は跳ね上がり、あまりの急増ぶりに供給が追いつかず、一時は商品が在庫切れになったほどだ。
それまでチョコレート製品といえば、バレンタイン商戦が主な稼ぎ時だったが、コンビニエンスストアやスーパーマーケットが「受験」を切り口とした新たな売り場を作るようになり、ビジネスチャンスは拡大した。
また、「キットカット」の歴史上初となる期間限定商品を企画し、新しい味の商品を2ヶ月ごとに発売する戦略にもチャレンジした。
これが爆発的なヒットとなり、コンビニエンスストアでの売上も劇的に伸ばすことができた。
受験生応援キャンペーンも、期間限定商品の発売も、従来のマーケティング戦略とはまったく方向性が異なる。日本はもちろん、グローバルでもこうした前例は存在しない。
また、50 歳でネスレ日本の社長に就任後、新たなビジネスとして開発し、成長を続けているのが「ネスカフェ アンバサダー」だ。
職場にネスレのコーヒーマシンを無料で貸し出し、1杯約30円の手頃な価格でコーヒーを提供する。マシンは無料だが、専用のコーヒーカートリッジをネスレ通販で定期購入してもらうことで、ネスレは収益を得ることができる。コーヒーの定期購入と代金の回収は、アンバサダーと呼ばれる職場の代表者に協力していただくというビジネスモデルだ。
2012年から開始したこのサービスはたちまち多くの職場に導入され、2017年4月現在、アンバサダーの会員数は30万人を突破。このサービスで、1年間に10億杯を超える「ネスカフェ」が職場で飲まれていることになる。
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不利な条件のもとで勝ち続けた「ジャパン・ミラクル」