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「ぶぶ漬けでもどうどす?」~養老孟司が語る 京都人との付き合い方

養老孟司(解剖学者)

2017年06月02日 公開 2022年10月27日 更新

京都人との距離の取り方

京都の人の本音と建前を使い分ける言葉。言われたことをそのまま信用すると痛い目にあうかもしれませんが、私自身はそういった経験はありません。

それは、人と距離を取るからだと思います。あまり深入りすると、必ず良し悪しが出てきてしまいます。個人間のつき合いでもそうですし、街との関わり方でもそうですが、この距離の取り方が実は非常に難しい。

私の大好きな虫捕りは別です。これは自然とのつき合いだから、遠慮する必要はありません。むしろ虫捕りの場合は、徹底的に入り込まないといけないのです。体力も必要ですし、勇気もいります。

ただし、全然知らない土地に行くと、距離を取らなければいけない場合もあります。たとえば奄美大島。うっかり奥まで入っていったら、ハブに嚙まれるかもしれません。熱帯に行けばそういう危険があります。

同じように、知らない街に行ったら、やっぱり距離を取りますね。それは京都に限りません。「ここから先は入り込まない」という一線を自分で決めています。

これが京都人の発想に近いらしいのです。

どんなに親しい人であっても「これ以上、立ち入ってはいけない」という一線を引いて、そこから先には入り込まない。その一線を無視してどこまでも入り込むと、「厚かましい人」になってしまいます。そこには京都という地域の共同体の壁が存在するのです。

まず、その共同体に入るか入らないかをはっきりさせる。入らないときはお客さんですから大事にしてくれるわけで、それでいいのです。

都会に出てきた人は、もともと自分の属していた故郷の共同体がありますから、正月やお盆はみんな故郷に帰ったのでしょう。今、その帰るところがない人が発生してしているのが問題なのだと思います。

共同体の壁は京都に限りません。どこに行っても存在します。むしろ、田舎のほうが大変かもしれません。私は鎌倉へ帰れば地元民ですから、大きな顔をしていられます。「うるさい、おまえたちのほうが後から来たんだろう!」と(笑)。

適度に距離を取るということは、共同体の壁の存在を知って、距離の取り方を教わるということでもあるのです。この距離の取り方を知っている人が「大人」であり、入り込みすぎないのが都会の人。それを端的に教えてくれる街が京都であり、それが京都の街の複雑さではないでしょうか。

※本記事は養老孟司著『京都の壁』(PHP研究所刊、京都しあわせ倶楽部)より、その一部を抜粋編集したものです。

養老孟司 京都の壁

著者紹介

養老孟司(ようろう・たけし)

解剖学者

1937年、神奈川県生まれ。東京大学医学部卒業後、解剖学教室に入る。95年、東京大学医学部教授を退官し、同大学名誉教授に。89年、『からだの見方』(筑摩書房)でサントリー学芸賞を受賞。著書に、ベストセラーとなった『バカの壁』(新潮新書)ほか多数。

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