「ぶぶ漬けでもどうどす?」~養老孟司が語る 京都人との付き合い方
2017年06月02日 公開 2022年10月27日 更新
古都の見えない壁の正体
京都に「壁」は存在するか?
私は鎌倉生まれの鎌倉育ち。長く勤めたのは東京大学と、正真正銘、関東の人間です。2006年、京都に誕生した「京都国際マンガミュージアム」の館長に就任してからは、月に一度は京都を訪れていました。この4月に館長は退任しましたが、名誉館長としてこれからも、まんざら縁がないわけでもありませんし、京都以外の出身者から見た京都論というのは、視点が変わっておもしろいかもしれない。そんなわけで、この本(『京都の壁』(PHP研究所刊)の執筆をお引き受けすることになりました。
千年以上の歴史を持つ京都は、日本の古都として絶大な人気を誇っています。家内などは私よりもせっせと京都に通っては、茶道の稽古に励んでいます。
観光都市として人気の一方で「京都はよそ者を寄せつけない」「お高くとまっている」「いけず(意地悪)」といった批判にも度々さらされることはご承知の通り。
最近では京都出身の井上章一さんが上梓した『京都ぎらい』(朝日新書)がベストセラーになりました。京都人気へのやっかみなのか、もともと京都のことを苦々しく思っている人が大勢いたのか?
京都を批判するときに必ず引き合いに出されるのが「いちげんさんお断り」。京都の花街や老舗では、紹介者がいなければ門前払い。どんなにたくさんお金を持っていても、中には入れてもらえません。これが京都以外の人から見ると「お高くとまっている」と映るわけです。
さらに、もはや都市伝説にもなっているのが「ぶぶ漬け(お茶漬け)でもどうどす」。長居する客を帰すための常套句だそうです。
言葉はやわらかいけれど、本音を言わず、直接的な表現をしないから、本当は何を考えているのかわからない――。これがまた「京都人はいけず」といわれる原因のひとつなのでしょう。
お金を使ってくれる観光客は歓迎しても、自分たちの習慣を頑かたくなに守り、よそ者は受け入れない。京都の「壁」は、他の地方の出身者にはとてつもなく大きく存在し、それがまた、京都のステータスを上げているようにも思えます。
世界にも類を見ない古都であり、日本人の心の故郷ともいわれる京都。しかし、そこには見えない壁が存在するのでしょうか? この疑問を紐解いていくとともに、日本の「都市」のあり方についても考えていきたいと思います。