頭で考えず、腹で考える~横田南嶺・臨済宗円覚寺派管長
2017年06月25日 公開 2024年12月16日 更新
PHP言志録
文永11(1274)年、蒙古・高麗の大軍が日本に押し寄せてきました。後世、元寇といわれる文永の役です。当時、最強最大の世界帝国との戦いは、日本開闢以来の危機でした。国家の命運を握る采配が、23歳の若き執権・北条時宗に委ねられました。
時宗は生来臆病でしたが、禅の師の無学祖元(のちの円覚寺開山)の指導により大悟し、「胆、甕の如き」といわれるまでの豪胆な気質になっていました。師の無学祖元は、南宋にいた頃、元の兵士に切りつけられた際に「電光影裏、春風を斬る」で有名な『臨刃偈』を唱え、その気迫に驚いた兵士が逃げ帰ったという逸話があります。
のちに虎関師錬が著した『元亨釈書』は、弘安の役の際に、無学祖元が時宗に「莫煩脳」という三文字を与え、「煩い悩むことなかれ」と諭したと伝えています。時宗の勇猛果敢な決断によって、鎌倉武士は心を一つにして戦いました。
元軍は最終的には暴風雨で大きな被害を受けて撤退しましたが、元軍を退けたのは神風だけではなく、時宗のもとで心を合わせて戦った武士たちのおかげでしょう。
今に伝わる時宗と無学祖元の禅問答からは、両者の心が通じ合い、厚い信頼関係にあったことがうかがえます。無学祖元は坐禅によって姿勢を正し、呼吸を整え、腹に意識を集中して、内なる自己を見つめる大切さを時宗に説きました。時宗は坐禅で精神修養に努め、不安・恐れ・動揺をなすことのない胆力を養ったといわれています。
ここで大事なのは、目に見える情報や耳から聞こえる情報をいったん遮断し、頭で考えるのでなく腹で受け止めて考えてみることです。仏教学者であり坐禅も修めた鈴木大拙が、「西洋人は物事を頭で考えて分析・比較・対照するが、東洋人は全体を見て腹で考える」と述べているのも、そこに通じています。
仏教には、「宇宙はちょうど網の目のように一つひとつの玉が全体につながっているが、網の目は一つ切られてもバラバラになってしまう。生きているものはみんなかかわりながら存在している」という『華厳経』の教えもあります。
人の存在は、たとえるなら大海に浮かぶ泡のように、はかなくあやういもの。しかし、泡は海と一体であり、果ては大気になります。自然はすべてつながり、一体となって切り離せないものです。そのつながりの一部に自分が存在しています。
頭で考えて自分を守ろうとするから、心に不安と動揺が生まれます。全体の中の一部として、与えられた役割を精一杯務めることが大切でしょう。
特に上に立つ人は孤独です。孤独との戦いといってもいいでしょう。常に全体を感じ取り、何事も腹で受け止めて、腹で考えていく覚悟が必要です。
※本記事はマネジメント誌『衆知』2017年5・6月号「PHP言志録」に掲載したものです。