日本が進むべきは「徳川家康の道」か「今川氏真の道」か
2017年10月21日 公開 2022年12月15日 更新
氏真は、父の今川義元が桶狭間の合戦で織田信長に討たれたことを受けて、家督を継ぎます。しかし、蹴鞠や和歌に熱中します。今川家は父の代では大国であったにもかかわらず、氏真は無為に時間を過ごし、みるみる国力を低下させます。氏真は国防努力をすることもありません。父の弔い合戦を行なう意思も見せずに腑抜けている氏真から、人心は離反しました。周辺諸国の武田や徳川の侵略に耐えきれず、ついには亡国に至りました。
アメリカや中国に小突き回されて、周辺諸国の顔色ばかりうかがって生きている現代日本と瓜二つです。明日の日本が亡国ではないと、なぜいえるのでしょうか。
ちなみに氏真は、天正3年(1575)に父の仇である織田信長と京都で会見しています
が、蹴鞠を所望され、公家たちと披露しています。プライドなど、カケラもありません。そして、二度と大名に復帰することはありませんでした。
そんな氏真が残した辞世の句が、二つあります。
なかなかに 世にも人をも恨むまじ 時にあわぬを身の咎にして
悔しとも うら山し共思はねど 我世にかはる世の姿かな
どちらも、恨みや悔しさはないわけではないけれども、時代のゆえさ、許してやる、というほどの意味でしょうか。そういうことは勝ってからいうもので、氏真がいっても負け惜しみにしかなりません。
徳川家康ではなく、今川氏真の道を歩んだ敗戦後日本。
今後、われわれはどのような未来に進むべきでしょうか。
一つは、これからも今川氏真のように生きることです。プライドを捨て、周辺諸国の顔色をうかがいながら生きればよい。北朝鮮は「日本列島を核で沈めてやる」などと嘯いていますが、それに対して、わが国はFAXで遺憾の意を伝えるだけです。核兵器とFAX、何の冗談でしょうか。
もう一つは、徳川家康の道です。
家康の生涯は、常に大国相手の忍耐の日々でした。今川、武田、織田、そして豊臣秀吉。
あらゆる理不尽に耐え、知恵を絞り、黙々と働き、富を蓄え、したたかに生き抜く。何より、安全保障上の重要な同盟国の手伝い戦を命懸けで戦い抜く。
そして、いまこそ家康の道を歩む千載一遇の好機なのです。
現在、アメリカのトランプ大統領は、自由主義陣営で孤立しています。ヨーロッパも、オーストラリアも、メキシコも、「人を殺してはいけない」という価値観を共有している国々と摩擦を繰り広げています。世界を見渡しても、真の盟友はイスラエルのネタニヤフ首相ぐらいでしょうか。大国の友人はいません。
それに引き替え、アメリカの覇権を脅かそうとする、「人を殺してはいけない」という価値観が通じない国々は東アジアに集中しています。中国、ロシア、北朝鮮です。
これこそ、千載一遇の好機です。幸い、安倍首相は個人的にはトランプに嫌われていないようですし。また、トランプも日本の防衛努力を期待する発言を繰り返しています。日本の敗戦以降、民主党はもちろん共和党も含めて、すべての歴代大統領が日本の再大国化を容認しませんでした。ところが、今度はアメリカのほうからいってきました。誰はばかることありません。
やり方は簡単です。まず景気を回復させます。わが国はいまでも、世界有数の経済大国なのです。ということは潜在的軍事大国です。富を蓄えたら、やることは国防努力です。少なくとも周辺諸国に脅かされない軍事力がないと、外交にもなりません。何度でも繰り返しますが、習近平もプーチンも金正恩も、力の論理の信奉者なのです。だから自分より弱い者とは話をしませんが、自分より強い者とは絶対に戦わないのです。と、ここまでは、政府の仕事です。
何よりも大事なことは、賢くなることです。そして、これは政府だけに任せるのではなく、国民一人ひとりがなすべきことです。
いま、日本の言論界には二つの議論しかありません。「安倍アンチ」と「安倍信者」です。
「安倍晋三のやることは何でも反対だ」という安倍首相にケチをつけるだけのアンチ、「安倍さんを応援することが日本を良くする道だ。安倍さんの批判を一切するな」とアンチにケチをつけるだけの信者。テレビのようなメインストリームでは前者が、インターネットのような新しいメディアでは後者が優勢のようです。
いずれも間違っています。そもそも、人間の評価に零点や百点があるでしょうか。ありえません。そうした絶対に間違っている二択しかない悲惨な言論状況で、一人ひとりの国民が賢くなることこそが、国を護るということなのだと信じています。