上ではなく「前」を目指しませんか?~岸見一郎が考える「老いる勇気」
2018年04月20日 公開 2024年12月16日 更新
上ではなく「前」を目指す
世の中には、使い方によって、毒にも薬にもなるものがあります。その一つが「欲」です。お金、友人、地位や肩書き─。たくさん「持ちたい」という欲は、不安という名の副作用を伴います。何かを持った人は「もっと」と思うだけでなく、すでに持っているものを失うことを恐れるようになるからです。何かを持つことで幸福感を得られたとしても、それは持続しません。
逆に、「歳をとって、すっかり欲がなくなった」という人もいます。この場合の無欲は、時として無気力という合併症を引き起こし、それが身体的な衰えを加速することもあります。意欲を持ち続けることは、生きていく上でとても大切なことです。目標、夢、あるいは生きがいと言い換えてもいいでしょう。
日本には枯淡の境地を美徳とする文化的土壌もありますが、意欲を枯らしてはいけないと思います。アドラーは、「人生は目標に向けての動き」であり、生きることは「進化すること」だと語っています。
人間は、いくつになっても進化できます。ただし、注意しなければいけないことが、一つあります。どこに向かって進化するかということです。
アドラーのいう進化は、上ではなく「前」に向かっての動きを指しています。つまり、誰かと比べて「上か、下か」という物差しで測るのではなく、現状を変えるために一歩前に踏み出すということです。
新しいことにチャレンジするだけでなく、これまでやってきたことをコツコツ続けていくことや、日々の暮らしを楽しくするためのささやかな工夫も、大切な「一歩」です。
上ではなく、「前」を目指す─。これは意外と難しいことかもしれません。とくに若い頃は、他者との競争を前提として、「より優れた自分でなければいけない」と考えてしまいがちだったからです。
今の自分よりも優れたいと思い、そのために努力をするのであれば、その努力は健全なものです。しかし、そこに他者との競争や勝ち負けを持ち込む必要はありません。勝ち負けや他者からの評価を気にして汲々とするのではなく、昨日できなかったことが今日はできた、という実感を持つことが大切です。
昨日の今日では実感しにくいとしたら、半年前、あるいは1年前の自分を思い起こしてみてください。どんなことでも、何歳から始めても、地道に続けていれば確かな変化の手応えがあると思います。
アドラーの言葉を借りるならば、これは「健全な優越性の追求」です。この嬉しい手応えは、人生に若々しいハリをもたらしてくれます。
厄介なことに、他者と比べて上下を測る物差しは、私たちの身近にあふれています。これを意識して手放さなければ、「勝った」「負けた」の自己診断に振り回されてしまいます。
まずは、他者と比べてしまっている自分に気づき、他者と比べないようになると、それだけで心が軽くなります。
引き算ではなく「足し算」で生きる
確かな変化・前進の手応えはあるのに、それを喜ぶことができず、夢や目標を投げ出してしまうケースもあります。
その原因の一つが「引き算」思考です。理想の自分からの引き算で今の自分を見てしまうのです。
この「引き算」思考は、モチベーションに大きく影響します。韓国語の勉強を始めて2年になりますが、もしも私が「通訳を介さずに、韓国語で講演できるようになる」ことを理想とし、そこからの引き算でしか今の自分の実力を評価できないとしたら、日々の楽しい勉強はたちまち苦行になってしまうでしょう。他者との比較だけでなく、理想の自分と比べないことも重要です。
以前は講演の冒頭で挨拶をし、自己紹介をするのが精一杯でしたが、今はもう少し話すことができます。もとより通訳の方の力を借りずに講演するにはほど遠いのですが、それでも、たとえわずかな進歩であっても、プラスの部分に注目する─。理想からの減点法ではなく、自分が積み上げてきたことを加点法で評価する目を持つことが、アドラーのいう「健全な優越性の追求」には必要です。
そういう視点で意識して探してみると、加点ポイントは意外と多いものです。もちろん、できないこともあります。特に齢を重ね、身体的な衰えが顕著になると、そこに目が行って、自分の価値を減点してしまいがちです。
以前は颯爽と歩けたのに、最近はすぐに疲れてしまう。膝が痛くて歩けない。膝も、腰も、どこもかしこも痛くて情けない─。ここにも「引き算」思考が働いています。
若く、元気で、体力もあった「かつての自分」を理想として、そこからの減点法で今の自分を見ているのです。しかし、かつてのように長く、颯爽と歩くことはできなくても、散歩の習慣を続けてきたことで、例えばウォーキング仲間ができたとか、歩くスピードが落ちたとしても、ゆっくり歩くようになって、それまで気がつかなかった路傍の草花や四季折々の匂いに敏感になったなど、視点を少し変えると、たくさんの「できる」が見つかるはずです。