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18歳の自分に戻りたいですか?―岸見一郎が考える「老いの特権」

岸見一郎(哲学者)

2018年04月13日 公開 2024年02月16日 更新

18歳の自分に戻りたいですか?―岸見一郎が考える「老いの特権」


 

18歳の頃の自分に戻りたいですか?

そもそも、なぜ人は老いを嘆くのでしょうか。

一般的には、「衰えていくこと」が老いであり、だからこそ衰えの証拠を目の当たりにするとショックを受けます。若い頃を絶頂として、そこから坂道を転がるように衰え、様々なものを失っていく─。老いには、そんなイメージがつきまといます。

確かに、老いることで失うものもたくさんありますが、必ずしもマイナスばかりではありません。

俳優の火野正平さんが自転車で全国を旅する、「にっぽん縦断 こころ旅」という番組があります。この番組のキーフレーズは、「人生下り坂最高!」。

自転車に乗っていると、登り坂はしんどいものです。しかし、登り切った先には必ず下り坂がある。風を切って下る坂道は爽快です。人生も、若い頃は夢や目標、野心、焦りなど、たくさんのものを背負い、必死でペダルを漕いできたけれど、「これからは、肩の荷をおろして、軽やかに楽しもう!」。そう思えれば、後半生に広がる景色は、まったく違うものになるでしょう。

「老」という字は、腰の曲がった長髪の老人が杖をついている姿をかたどった象形文字といわれます。しかし、江戸時代の「老中」という役職、あるいは中国語の「老師」という言葉にネガティブな含意はありません。目に見える姿ではなく、その人が蓄積してきた知識や経験に注目しているのです。

「18歳の頃の自分に戻れるとしたら、戻りたいですか?」

カウンセリングでは、こんな質問をよくします。鏡に映る自分は若く、溌溂として、体力もあり、徹夜もできる─。それでも、50代、60代の方のほとんどは「戻りたくない」と答えます。今の自分にある知識や経験を持ったままであれば、戻ってもいい。でも、すべてがリセットされて、また一からやり直すことになるのはいやだ、と。

人生、いいことばかりではなかったと思います。辛い経験や嫌な思いもしてきたでしょう。しかし、それも含めて、これまでの自分の足跡、蓄積してきたものを手放したくない、というのです。老いは衰えであると嘆きつつ、ではただ若ければいいのかというと、そうでもありません。必ずしも若い頃の状態が最善だとは思っていない人もいるということです。

これは私も同感です。すべてをリセットして若返るとなると、例えば私の場合でいえば、若い頃に苦心惨憺して学んだギリシア語を、一から学び直さなければならないことになってしまいます。

「韋編三絶(いへんさんぜつ)」という言葉がありますが、ギリシア哲学の古典を原語で読むために、私は辞書を3冊潰しました。使い込んでボロボロになっては買い直すということを繰り返し、懸命に勉強したからこそ、この歳になってギリシア哲学の大著を翻訳することもできました。努力と歳を重ねてきた今だからこそできることはたくさんあるのです。
 

始める前から「できない」というのは嘘

一方で、私は60歳になって新たに韓国語を学び始めました。韓国で講演することが増えたからです。

ギリシア語や英語、ドイツ語、フランス語など、欧米の言語であれば長年学んできたので読めるのですが、アジアの言語はこれまで一度も学ぶ機会がなかったので、韓国語はまったくゼロからのスタートでした。今は韓国人の先生について本を読んでいますが、いまだに初歩的な間違いをします。若い頃に戻るということは、言語を学ぶ時に初歩的な間違いをするように、様々なことについて失敗し、無知や経験のなさを痛感するということです。

しかし、新しいことを学ぶということ自体は、胸躍る楽しい経験です。辛いこともありますが、これまでの蓄積をリセットすることなく、若い頃に戻ることができ、若さを“疑似体験”できます。

これは誰にでもできます。必要なのは、特別な才能や適性ではなく、ほんの少しのチャレンジ精神です。オーストリアの精神科医・心理学者であるアルフレッド・アドラーの言葉を使うならば、「不完全である勇気」です。

新しいことを始めるチャンスを目の前にしながら、様々な理由を挙げて、「無理」「できない」という人がいます。若い頃のようには覚えられない、難しくて理解できそうにない、もう体力が続かない。時間だけは、たっぷりあるのだけれど─と。

しかし、本当はできないわけではありません。高校生の頃のような努力をすれば、新たに手がける言語であっても、習得することは可能です。それなのに、始める前から「できない」と決めてかかるのは、不完全な自分を受け入れられないから、あるいは受け入れたくないからです。

アドラーのいう不完全とは、人格ではなく、新たに手がけたことについての知識や技術の不完全さです。新しいことを始めると、たちまち「できない」自分と向き合うことになります。新しいことですから、できなくて当然です。しかし、そんな「できない」自分を受け入れることが、「できる」ようになる一歩なのです。

韓国語の勉強を始めたという話を講演会でしたところ、70代半ばの男性から声をかけられました。その方は、64歳で中国語の勉強を始め、現在は通訳ガイドの仕事をされているそうです。「勉強はいつからでも始められる」と励まされました。

私は韓国語の勉強を始めてまだ2年ほどですから、学習キャリアは遠く及びません。それでも、韓国語で書かれた本を読めるようになりました。

昨年は、韓国の全国紙「朝鮮日報」からの依頼で、短い書評を韓国語で書きました。もちろん事前に先生に添削してもらいましたし、書きたいことがあるのに力不足で思うようには書けませんでしたが、達成感はありました。

韓国語の次は、中国語を勉強したいと思っています。昨年、台湾で講演をする機会があり、その時少し中国語で話をしたことで興味を覚えたのです。

若い頃の勉強は、競争にさらされたり、結果を出すことが求められたりします。

しかし、この歳になると、評価や評判を気にすることなく、学ぶことの喜びを純粋に味わうことができます。これは老いの特権といえるでしょう。
 

※本記事は岸見一郎著『老いる勇気』より、内容の一部を抜粋編集したものです。

著者紹介

岸見一郎(きしみ・いちろう)

哲学者

1956年、京都府生まれ。京都大学大学院文学研究科博士課程満期退学。専門の哲学(西洋古典哲学、とくにプラトン哲学)と並行して、89年からアドラー心理学を研究。精力的にアドラー心理学やギリシア哲学の翻訳・執筆・講演活動を行なう。著書に『アドラー心理学入門』(ベスト新書)やベストセラーとなった『嫌われる勇気』(ダイヤモンド社)など多数。

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