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生き方

喧騒の中でこそ「平穏」であることの価値が見えてくる

茂木健一郎(脳科学者)

2018年05月22日 公開 2018年05月22日 更新

喧騒の中でこそ「平穏」であることの価値が見えてくる

 

威勢のいい言葉、攻撃的な言葉の陰で見落とされるもの

時代がざわざわとして、騒がしくなってくると、かえって、なんでもないものの価値が見えてくる。

往々にして、威勢のいい言葉だとか、攻撃的な言動は底が浅い。

そんなことと関係がなく、今流行の言葉ならば「お花畑」と言われようとも、自分なりの流儀で、平穏を貫くことの方が、どんなにか尊いことかと思う。そして、ときには、そのような真実を人は見落としてしまうものであるし、誤解やすれ違いは、人類の歴史の上で、何度も繰り返し起こっているのではないかと思う。

だからこそ、ときには、原点に立ち返って、「平穏」であることの価値を考える意味があるのではないか。

小津安二郎は、映画史に残る数々の傑作を撮った。

とりわけ、主人公の名前が「紀子」なので、「紀子三部作」とも呼ばれる『晩春』『麦秋』、そして『東京物語』は評価が高い。なかでも『東京物語』は、映画関係者が選ぶ映画史上のベストの投票において、繰り返し上位にランクされている。

小津安二郎が描くのは、なんでもない家族のあり方である。娘がなかなか嫁にいかないのを、父親や周囲の者があれこれと世話をする。そんな、戦争とも、社会的な事件とも関係のない平穏な家族のあり方を、小津安二郎は、繰り返し描いた。
小津安二郎が、戦争の悲惨さや、社会問題を知らなかったわけではない。小津自身、従軍して、シンガポールにて捕虜になり、終戦までの日々を過ごしている。

 

小津安二郎はなぜ「小市民的な世界」を描いたのか

それでも、なぜ小津は敢えて「平穏」な生活を描いたのか。

そこには、それなりの理由があったのであろう。

「紀子三部作」が作られたのは、終戦直後。『晩春』(一九四九年)、『麦秋』(一九五一年)、そして『東京物語』(一九五三年)と、傑作が立て続けに撮影された。

これらの作品は、穏やかな、小市民的な世界を描いている。だからこそ、当時のざわざわとした世相のなかで、小津は「古い」だとか、「時代遅れ」だなどと批判されもした。

終戦が一九四五年。一九四九年には、中華人民共和国が建国。ドイツが分断され、東西のイデオロギー対立が激化していき、朝鮮戦争が起こったのが、一九五〇年。日本国内でも、左翼思想に基づく運動が激化する中で、小津が描く世界は、そのようなことすべてがまるで人ごとのようである。

しかし、だからこそ、その作品の中に描かれた「平穏」には、価値があるのだと思う。小津安二郎が、当時の日本、そして世界を駆けめぐる時代の躍動に無関心であったはずがない。ましてや、理解能力を欠いていたはずもない。

「豆腐屋は豆腐を作るしかない」

と言った小津安二郎の胸のなかには、よほどの決意が込められていたのだろう。

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いつの時代も「平穏さ」を守ることこそが最も難しい

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