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生き方

「いい人生だった」と笑って言える人になる

川村妙慶(僧侶/広島経済大学客員教授)

2012年02月03日 公開 2022年12月27日 更新

川村妙慶

やってしまったこと、やらなかったことの後悔

あることを決断できずに悩んだことがありませんか? たとえばある催しに行こうか? やめておこうか? など悩むときがあります。私は迷ったときは「行く」ほうをお勧めします。

なぜなら行ったことによって、よかったのか、あまりピンとこなかったかがわかるからです。しかし、行かずに終わると「行けばよかったかな?」と想像することで後悔の念が残るのです。人間というものは目や体、心で体験することで納得しているのです。

私たちは一度しかない人生を生きています。「あのときにこうすればよかった」などと、後悔はしたくないですよね。

ですから、何らかの理想や目標をもって生きていこうとするのが私たちです。とはいっても失敗せずに生きたいと、慎重にもなります。「後悔したくない」ということと、「失敗したらどうしよう」という綱引きで毎日が揺れ動いているのです。

私たちは生きる中で思い通りになることと、ならないことがあります。七転び八起きという教えは、また転んでも立ち上がる気持ちが大切ということを教えてくれますが、7回は転ぶのだということも教えてくれるようです。つまり結局は思い通りになることのほうが多いのです。

病気や事故、世の中の変化など、思いもかけないことが起こってくるたびに、「こんなはずではなかった」といって苦しまなければなりません。そして、他の人に先を越されたりすると、失望したりするのです。

なぜ「こんなはずではなかった」と思うのでしょうか。

私は仏教を学ぼうと東本願寺関係の学校へ入学しました。親の言いなりに入学したと言いきった私に、担任の先生は「川村! 黒澤明の『生きる』を見にいこうか」と言って、映画に誘ってくださいました。

映画の主人公は突然、あと数カ月のいのちと宣告されます。死に直面して、はじめて過去の自分の無意味な生き方に気がつくのです。それまでの自分は、家族を守るため、お金を貯めるために生きていて、「幸せという形」を埋めるためのものでしかありませんでした。自分で生きていなかったことに気がつくのです。

こんなはずではなかった。その思いは、「自分だけは大丈夫」だと思い込んでいるために起こるのではないでしょうか。

そんな私たちに対して、すべての物事は必ず移り変わるということを、仏教は「無常」と教えています。

その事実によって目を覚まさない限り、自分の人生がいつまでも続くように夢見て、結局は空しく過ぎ去ってしまうことになるのです。

願わくは深く無常を念じて、いたずらに後悔を貽(のこ)すことなかれ。
(親鷲聖人『教行信証』行巻)

私たちはこの世に生を受けました。ということは必ず老い、病み、死ぬのです。これは誰もまぬがれることのできない、いのちの事実です。

しかし、できるだけマイナスイメージのものは見ないようにするのが私たちです。けれど、見ないようにしたからといって、「老」「病」「死」が消えるわけではありません。

大事なのは、「老」「病」「死」を憎んだり、遠ざけることではありません。「老」「病」「死」のある人生をどう生きるか、問題を抱えている人生をどう生きるかということです。

「あのときなんであの人と付き合ったのか」と後悔しても、あの人と出会ったという事実があります。

「あのとき、あの人と付き合っていれば幸せになれたかもしれないのに」と、できなかった後悔もあるでしょう。

やってしまったこと、やれなかったこと。
この2つは「ご緑が整わなかった」だけなのです。
それだけなのです。過去や出来事に引きすられているから辛いのです。

今の出会いに動かされ行動できたということが正直な気持ちであり、事実なのです。あなたの「いのちのかけがえのなさ」を大切にしてください。

過去だけでもない、未来を当てにすることでもない。今のあなたをそのまま受け取り、大切にして生きていきましょう。

 

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