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社会

沈む欧州、崖っぷちの米国、そして日本が“独り勝ち”?

日下公人(評論家/日本財団特別顧問)

2012年02月06日 公開 2023年01月05日 更新

日下公人

GDPがプラスでなければ不幸か?

また従来の指標や価値観を変えれば、こういう見方もできる。

たとえば、「GDPの経済成長率がプラスでなければ国民は不幸だ」という考えは正しいか。いま日本人の給労働時間は年々減少している。それでも成長率が横ばいであれば、労働時間の減った分は経済成長していることになる。

お金ではなく時間で成果を受け取っている。デフレも円高も経済成長のうちとなる。そう考えると、日本はいまも世界最高の成長国であるといえる。

多くの国は、「不況のときには財政出動をすればいい」というケインズ経済学を採用しているが、これが通用するのは、政府がお金をばら撒けば喜んで働く中流層が多く存在する場合に限られる。

だが、いまアメリカでは中流層はごく少数となり、大半が下流層になった。下流層はお金をもらえばすぐに博打や酒に使ってしまい、波及効果が出ない。そうなる原因は富裕層による富の独占だから、ニューヨーク・ウォール街のデモになる。

実際、米議会予算調査局(CBO)が2011年10月にまとめた報告書によれば、1979~2007年にかけて所得上位1%を占める超富裕層は税引き後収入が約3.8倍に増えたのに対し、下位2割の低所得層は18%しか伸びておらず、CBOは「この30年間で米国民の所得はかなり不平等となった」と分析している。

また、市民団体の「税金の正義を求める市民の会」が発表した米主要企業280社の納税実態調査では、2008年から2010年にかけて78社が少なくとも1年間は連邦所得税を納めておらず、30社は3年間にわたって納税しなかったという。

これらの現象を見て、世界の多くの人々がアメリカをはじめ欧米諸国は行き詰まっていると感じるが、世界には着実に伸びている新興国がたくさんあるのだから、彼らにも目を向ける必要がある。そこで彼らに、「中流なきアメリカと、中流だらけの日本、どちらの社会を手本にしたいか」と尋ねてみればよい。日本に付いてくる国はいくらでもある。

 

ヨーロッパとインド洋の問題は他に任せ、アジアで役割を担う

私はかつて大平正芳元首相がご存命の項、こう助言したことがある。

「これからの日本外交はアジアに専心する、と宣言なさるべきです。ヨーロッパ大陸の問題はヨーロッパに、インド洋地域はアメリカに任せる。その代わりアジアに関しては日本が積極的役割を担うと宣するのです」

「そんなことをわざわざいう必要があるかね」と聞かれたので、「必要になってからでは遅いのです」と答えた。大平氏は「なるほど」と頷いていたが、結局、そうした宣言はなされなかった。

仮にこうした宣言をどこかで出しておけば、先のイラク戦争で自衛隊を派遣する必要はなかったし、第一次湾岸戦争で130億ドルという巨額な戟費負担をすることもなかった。こういうと、「そんなことをしたら日米同盟はもたない」と反射的に眉をひそめる人がいるが、そんなことはない。

そもそも日本にとって日米同盟は「目的」ではないはずである。日本の独立と安全のために日米同盟という選択(手段)があるのであり、将来、日米同盟がその目的に合致しなくなれば解消もあり得る(自分たちの世界戦略の変更を理由にアメリカから解消を持ち出される可能性もある)。

同盟関係という手段がいつの間にか目的化してしまい、自由な戦略的思考を阻害するようでは本末転倒である。

先の宣言をしていたら、「アラブのことはアラブの人たちが決めることであって、歴史的にも関係が深いとはいえないし、遠く離れた日本がわざわざロを出すべきことではない。それが日本の基本理念です。もしアラブ側から要請があれば日本政府として配慮するが、対米関係とこの問題は別個のものです」とアメリカにいうことができた。

宣言をしておけば、「日本としては自衛隊派遣を断わる選択肢もあるが、今回は同盟国アメリカの顔を立てて協力しましょう」ということができた。そのほかにいろいろなオプションを採り得ただろう。これは後知恵ではない。

国際関係においては、「その場になってから考える」というのは柔軟な姿勢のように見えて、実は下策である。まずは自分の立場を鮮明にする宣言を出す。

その宣言を100%守るかどうかは、それこそケース・バイ・ケースだが、「日本には日本なりの外交があって、それはこういう基本理念に基づく」と周囲に明らかにしておけば、相手の要求を断わる口実はいくらでもつくれる。

しかし、現実の日本はそうした主体的な理念を掲げていないから、アメリカや中国から要求を突きつけられると、そのまま受け入れるしかないということが続いてきた。

一方で、「国連中心主義」だとか「憲法九条の精神」だとかを掲げても、それは日本が国際社会において主体性を放棄するという前提だから、日本の独立、自立を回復し、維持するための方策とはなり得ない。

これは、「これまではこうだった」という話である。だが、繰り返すように「災後派=戦前派」は違う。「災後派」が主導するようになれば自ずと日本は変わる。その可能性と能力について私は語っている。

日本外交は「おカネを出すだけ」から今後は「口を出す外交」をしていかなければならない。黙って毟(むし)られることに終止符を打つ必要がある。それを志向するのに、いまの日本は絶好機である。

 

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