59歳フリーランス男性が今になって後悔していること、していないこと
2018年07月27日 公開 2024年12月16日 更新
五十路の壁(5)「第2の人生」の壁の乗り越え方
第2の人生を意気揚揚と送る50代の共通点
まず、意気揚々と生きるには「のに」から解放される必要がある。
私の知人のある会社役員は、社長に尽くして尽くしたのに、閑職に回されてしまった。役員としての体面は保っていたが、排除されていることは周囲にもよく分かった。彼は仕事ができすぎたのだ。
ある時、部下が社長に彼のことを「虎の威を借る狐」だと讒言(ざんげん)した。仕事ができ、部下からの評判もいい彼に社長はいつしか嫉妬や警戒心を抱いていたのだろう。その讒言に耳を傾けてしまった。彼は社長にもズバズバと意見をしていたから、社長は内心面白くなかったのだろう。それが閑職に回された理由だ。
そこで私は彼に「のに」から解放されなさいとアドバイスした。尽くしたのに、努力したのにと「のに」ばかり思っていると、頭の中はいつのまにか「のに」でいっぱいになり、どうしようもなくなる。そのうち頭が破裂してしまうだろう。
人生というのは思うに任せないものだ。こんな分かり切ったことを言って、お前は聖人を気取っているのかと思われるかもしれないが、あえて言わせてもらおう。
例えば財務省のエリートで出世街道をまい進していたのに、つまづいて国会に呼ばれ、追及を受ける立場になる人もいる。
文部科学省の次官にまでなって、自分の信念に基づいているとはいえ、国の政策を批判し、あろうことか自由な立場になって講演しているにもかかわらず政治家から攻撃を受ける人がいる。
昨日まで平穏だった。何もなかった。このまま大過なく過ごせるはずだった。ところが1日で変わってしまう。
あの時、あの判断をしていなければ……と後悔しても遅い。その時は、信念に基づいて行動するしかない。
それを「のに」と思い続けると苦しくなる。
後悔は身も心も滅ぼす
50代になって会社に残るのも転職するにも、独立するにも、後ろを振り返らないことだ。「今」を大切にすることだ。辞めなければよかったのに、あの時あの判断をしなければよかったのにと「のに」ばかり言い、後悔すると、身も心も滅びてしまう。
私は50歳直前で銀行を辞めて、作家になった。その後、50代半ばで、のちに本邦初のペイオフとなる日本振興銀行の社長に就任した。もともとは社外取締役だったのだが、経営再建のために誰かが手を挙げなければならず、「火中の栗」を拾う覚悟で社長を務めた。
この時、一緒に再建に向けて戦ってくれていたA弁護士が自殺した。前日の夜まで一緒に仕事し、皆と食事をし「また、明日」と言って別れた。しかし、彼には永遠に朝が来なかった。
なぜ、自殺の予兆に気づかなかったのかと今でも悔やむことがある。まったく分からなかった。しかし「いずれ僕の覚悟が分かりますよ」と彼の声が聞こえたことははっきりと覚えている。
その場にいた誰も、その声を聞いていないというから、私にだけ彼の心の声が聞こえたのかもしれない。
彼はきっと「のに」に取り憑かれたのだろう。自殺の原因など、分かるものではないし、軽々に推測するものでもない。
しかし、あえて言えば「のに」のせいだ。こんなに弁護士として真面目に仕事をしていたのに……。彼は毎日「のに」に取り憑かれ、苦しんでいたのだ。その「のに」を取り払ってあげられなかったと私は今も後悔している。
新聞社役員だった友人も「のに」に取りつかれていた
他にも世間の非難にさらされることになり、私に会う時も顔を隠していた大手新聞社の役員だった友人がいる。
彼は編集責任の役員だった。ある大事件のスクープ記事を1面に掲載した。しかしその記事は誤報ではないが、やや勇み足だった。世間の批判が新聞社に集中した。社長が謝罪に追い込まれるまでの大事件になってしまった。
今は、生き生きと働いているが、彼も「のに」に取り憑かれ、取り殺される寸前だった。こんなに真面目にやってきたのに、慎重に記事をチェックしたはずなのに……。「のに」は無限に取り憑いて、心をむしばんでいく。
私は彼に「のに」から逃げろ、取り憑かれるなと注意し「徳は孤ならず、必ず隣有り」という孔子の言葉を贈った。
自分が信念に基づき、仕事をしていたなら後悔するな、必ず応援してくれる人がいるからという意味で、その言葉を贈ったのだ。
しばらくして彼は「あの言葉に救われた」と感謝してくれた。
言葉が彼を救ったのだが、根底には、50代までやってきた仕事への誇りがある。だから立ち直ることができる。彼は新聞社の役員を外され、退職したが、新聞社とはまったく無関係な会社の役員に迎えられた。今は新聞社時代以上に元気で活躍している。その姿を見ると、とても嬉しい。
誇りを失ってはいけない。だから50代まで誇りを保てないような仕事をしてはいけないということだ。