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マリア・テレジア ヨーロッパを驚愕させた「外交革命」と意外な結末

出口治明(立命館アジア太平洋大学学長)

2018年11月01日 公開 2024年12月16日 更新

出口治明

<<西洋史において重要な役割を果たしたハプスブルク家。マリア・テレジア、そしてその娘であるマリー・アントワネット……歴史にその名を刻む女性たちもこのハプスブルク家の出身。

特にマリア・テレジアは世界の外交史に残る「外交革命」の主人公。ハプスブルク家とフランス王国が手を結んだことは、当時のヨーロッパ全土に衝撃をあたえたそうです。

歴史に造詣が深い立命館アジア太平洋大学(APU)学長の出口治明氏も、この「外交革命」の重要性に注目しています。著書『知略を養う 戦争と外交の世界史』(かんき出版刊)より、「外交革命」の背景と結末に迫ります。>>

本稿は『知略を養う 戦争と外交の世界史』(かんき出版)より一部を抜粋編集したものです。
 

名門ハプスブルク家に生まれたマリア・テレジア

マリア・テレジアといえば、オーストリアの君主として、そしてかのマリー・アントワネットの母親としても有名な人物です。

このマリア・テレジアとフランスのルイ15世が結んだ意外すぎる同盟は「外交革命」と呼ばれ、歴史に名を刻んでいます。

マリア・テレジアは、ヨーロッパの名門・ハプスブルク家に生まれました。ハプスブルク家はもともとスイスの小領主でしたが、ドイツ王に選ばれるという幸運に恵まれた後、オーストリアやスペインなど、どんどんと領土を拡大して、強大な勢力を誇った家系です。

そんなハプスブルク家といわば天敵のような関係で争いを繰り返していたのがフランス王家です。

主な争いとしては1521年(ローディの和を崩壊させた1494年という説もあります)より続いたイタリア戦争や、ドイツでローマ教会派とルター派(プロテスタント)の宗教紛争である三〇年戦争などがありますが、この三〇年戦争では、ハプスブルク家はローマ教会を守る側に立ち一貫して戦い続けていたのに対して、フランスは同じローマ教会を国教とするにも関わらず国益を優先させて、裏から手を回して資金面でプロテスタント側の国々を応援し続けました。

オーストリアを含むドイツ全体の人々が、このようなフランスの態度に不信感を抱いたであろうことは想像に難くありません。

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