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マリア・テレジア ヨーロッパを驚愕させた「外交革命」と意外な結末

出口治明(立命館アジア太平洋大学学長)

2018年11月01日 公開 2022年12月08日 更新

フリードリヒ2世を倒すべく3人の女性が手を組んだ

マリア・テレジアは、女性である自分を甘く見たプロイセンのフリードリヒ二世をいかにして屈服させるか、いかにしてシレジアを奪回するかを考えました。どこか強力な国と同盟を結ぶことが効果的です。その国はどこか。

彼女はフランスを選びました。最強の国に白羽の矢を立てたのです。

フランスはルイ15世の時代でした。彼は愛人の多さで歴史に名前が残っていますが、統治者としては有能ではありませんでした。

当時の国政にいちばん大きな影響力を与えていたのは、愛妾のポンパドゥール夫人です。美貌と才知に恵まれた彼女の言うことに、ルイ15世は左右されていました。

マリア・テレジアは自分の腹心の部下である宰相のカウニッツにポンパドゥール夫人との接触を実現させます。

カウニッツはポンパドゥール夫人に、マリア・テレジアの心情を切々と訴えたのでしょう。カウニッツの熱弁が功を奏したのか、フランスとオーストリアは、ヴェルサイユ条約によって対プロイセン防衛同盟を結びます(1756)。

ミラノやブルゴーニュ公国をめぐる争い以来、犬猿の中であったフランスとオーストリア・ハプスブルク家が同盟を結んだことに、ヨーロッパは仰天しました。

しかもこの同盟を確固たるものにするために、マリア・テレジアの娘マリー・アントワネットがフランス王太子(後のルイ16世)に嫁ぐことまで取り決められたのです。こうしてこの決断は、「外交革命」と呼ばれるほどに話題を集めました。

かくて不倶戴天の敵を味方にしたマリア・テレジアは、さらにロシアの女帝エリザヴェータにも対プロイセン包囲網の結成を呼びかけました。
ピョートル大帝の娘であるエリザヴェータも、マリア・テレジアのフリードリヒ二世を女性の敵として憎む気持ちを理解して、呼びかけに応じます。

ここにマリア・テレジアを核として、エリザヴェータとポンパドゥール夫人の3人が女性連合をつくる形となり、ついにオーストリア・ロシア・フランスの大連合とプロイセンの戦争が始まりました。七年戦争です(1756-63)。
なおこの戦争には、グレートブリテンもプロイセン側で参加し、新大陸でフランスと戦っています。

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建前よりも本音で動いた外交の典型例

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