<<100円均一回転寿司店と高級店のはざまのカテゴリで勝負する「グルメ型回転寿司」と呼ばれる業態の寿司店があります。その中で存在感を示す「回転寿司根室花まる」は、一大漁港を要する“根室”ブランドを引っ提げ、激戦区・北海道で地力をつけてきました。
さらに、東京の有力商業施設である丸の内KITTE店と、東急プラザ銀座に出店する銀座店は、“東京屈指の回転寿司”との呼び声も高く、待ち時間1時間超えも珍しくない人気店となっています。その創業者の清水鉄志社長に、人気店を運営する秘訣をお聞きします。>>
根室のみんなが、これを待っている
――清水社長は寿司職人のご出身ではないそうですね。漁業関係者として獲れた「魚」を扱う流れで、「回転寿司根室花まる」を始められたのですか?
清水 僕が生まれ育った根室という街では、産業といえば魚にかかわるものが中心です。漁業か水産加工業、魚を運ぶためのトラックの流通業、保存するための冷蔵庫の倉庫業など、何らかの形で“魚にお世話になっている”人が多いですね。
僕も実家は漁業です。祖父が北海道に渡ってきて根室で漁師になり、父親も地元で漁師をしていました。そんな関係で、漁師関係の知り合いはたくさんいましたが、僕は、漁業に直接かかわる仕事に就かなかった。みずからお店に立ってお客様をもてなしながら、スナックを15年ほど経営していました。
ただ長くその仕事に携わるうちに、「さらに意味のある、価値の高い仕事に取り組みたい」という気持ちが、ふつふつと湧いてきたのです。そして1990年代の初めごろ、旅行先で、お客さんが行列をなしている回転寿司店を目にします。そのとき、「根室のみんなが、これをを待っている」と直感しました。
根室は、道東の中心地である釧路のさらに先にあって、北海道の一番東の端。人口も少なく、当時、観光客もあまり来ないところでした。
そのため、古びた喫茶店やカツ丼やラーメンを食べさせる定食屋はありましたが、ファミリーレストランやマクドナルドもなく、モスバーガーが一軒だけあったぐらい。「さっと食べて終わり」みたいな店だけで、家族でゆっくりと和気あいあい食事をできるような場所がなかったのです。
そこで、「回転寿司店こそが家族だんらんの場所になる。おらがまち・根室のみんなに喜んでもらうために作らねば」という使命感につき突き動かされ、1994年、42歳で「花まる」を開業しました。
――お店の名前「花まる」は、ご自身で考えられたのですか?
清水 いえ、根室の人たちにつけてもらいました。「この回転寿司店は、待ち望まれているのだから、根室の人達みんなのもの。だったら、町の人に名前をつけてもらおう」と考えました。
新聞に折り込みチラシを入れて募集したのですが、「よくそんなことができたな」といまさらながら驚きます。そもそも僕はとても人見知りで、スナックをしながら多くのお客さんと接していても、個人的なつき合いをすることはあまりなかった。「宣伝効果を考えて公募する」との発想をするタイプでもないんです。
そして開業するのですが、田舎なので根室じゅうの人たちが、まずはお店に来てくれました。その後、のちに述べるような難しい時期を経て、7年後、札幌に新規出店を果たすことになります。
その際、根室の地元の信用金庫からお金を借りたのですが、「根室高校が甲子園に出場するような気分です」と手紙に記して、担当者に渡しました。「街じゅうの人が、一生懸命に応援してくれている。頑張って戦おう」という感覚だったのです。
北海道民はもともと、釧路よりも根室に漁師町という印象を強く持っています。また全国的にも、たとえば「ふるさと納税」では根室市がトップクラスの額を集めているのが象徴的です。
納税の「お礼の品」としてのカニやイクラ、ホタテなど、根室の海産物に対する人気が高いからだろうと思われます。それぐらい根室は「魚の街」というイメージが強いのです。
そのような「魚の街」の看板を背負って「根室花まる」として仕事をする。その看板を傷つけ、根室の人たちに迷惑をかけるようなことは絶対にしたくない。
逆に「根室花まる」の寿司は美味しいと評価されることで、根室の魚のブランド価値を上げることにつなげ、根室の魚がよそよりもキロ単位で10円でも高く売れるよう、貢献したい。いまはそんな思いで仕事をしています。