愚痴の害悪を論理的に認識
――稲盛塾長から学ばれる経営者には、「壁にぶち当たっていて、それを乗り越えたい」。そのための学びを得たいという動機の方が多いと聞きます。清水社長も何か悩みを抱えておられたのですか?
清水 そうですね。苦しんでいたのですが、当時は、そもそも何が苦しいのか、どうしていいのかもわからない感じでした。一生懸命にやってもやっても、思ったほどの成果が上がらない。そして、人心掌握に苦労していて、人の心がどんどん離れていき、ひとり相撲を取っているようでした。
僕はお店で、必死になってピリピリして仕事をしていた。新しい商品を生み出すため、また、お客さんのためにと考え込み、視野が狭くなっていたのです。
当然、社員の皆はびくついてしまい、僕に対してなかなか声がかけづらかった。お客さんから、「この店は殺気立っている」と言われたぐらいです。皆の心が僕から離れていったのは当然です。
そこに稲盛塾長の話です。かなり頭の中が整理され、心のもやもやが消えていきました。あまたの「講話」を通して、人間としてあるべき姿を叩き込まれました。
そもそも人間の心は、利己と利他との二つに大別できる。その視点で見ると、なぜお金が欲しいのか、なぜ我儘なのかなどについて、人間の心の構造から説明がつく。理屈は分かった。ではあとは、自分の利己心をどう抑えていくか。現在の自分のふがいなさを知り、それを改善しようと努力することの大切さを意識できたのです。
また当時は社員に対して愚痴を言うこともあったのですが、それについても、論理的にその害悪を理解できるようになりました。そもそも愚痴をこぼすときには、後ろ向きな意見しか出てこないものです。「それではまずいなあ」と思いつつも、繰り返していました。
ここで私は、稲盛塾長がおっしゃる「人生方程式」を知りました。「人生・仕事の結果=考え方×熱意×能力」と定義されているのですが、愚痴はこのなかの「考え方」に関わるものです。そして後ろ向きの意見は、考え方がマイナスととらえられる。
そうなると、熱意と能力にはマイナスがないわけですから、三つの掛け算の結果、人生・仕事の結果がマイナスになってしまう。だからダメなんだと、論理的に理解できたのです。そしてその後は、「人生方程式」を意識しながら、人生や仕事を進めていくようになりました。
団結力を増した「コンパ」の力
――このような、人としての生き方、考え方にかかわるフィロソフィは、社長の中で消化されたあと、どうされたのですか?
清水 感動したこと、学んだことをすぐに社員の皆に伝えようとしましたね。早速、社内研修をスタートさせます。
当時、社員に対して話したことで一つだけ記憶に残っているのは、「腕を切ったら、赤い血が出てくる。その傷口にバイ菌がついて化膿するが、体じゅうの白血球が寄って来て、これを徹底的にやっつけるので傷が完治する。これが人間の本能だ」というメッセージです。
本能は100%自分だけが良ければそれでいいという心。だから人間は身勝手で自分中心なんだということに気づいたときは本当に感激しました。
この社内研修は当時から今日までずっと続けていますし、酒を飲みながら社員と車座になって意見交換をする「コンパ」も、よくやるようになりました。「講話」で「コンパ」の存在を知り、人心掌握のために必要なのは「これだ」と思いましたよ。
そこでわが社でも、「酒でも飲んで、安い、筋の入った牛肉ですき焼きでもやりながら」という感じでスタートさせ、これも今日まで続けています。
私自身は酒の力を借りて、みんなにわかってもらうために、必死に本音を話していくという感じでした。そして、根室時代ですがコンパの後、1カ月に一度ほどなじみのスナックで、10人ほどで大盛り上がりするようになりました。
皆の心が一つにまとまり、団結力が増していくのを実感でき、うれしかったですね。お店の人には「まるで、清水教」と冗談で言われましたが(笑)。
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フィロソフィに基づき、お客さんの期待に応える仕事を