学問に科学と哲学が共存する理由
これは理屈で考えちゃわからない話なの。
理屈で考えてわかることと理屈で考えちゃわからないこと二ふた色いろあるから、この学問の世界に科学というものと哲学があるんでしょ。理屈だけでわかれば、科学だけでもって、一切合財、完全に解決つきますよ。けれど、理屈ではわからないものが、もう随分量多くあるのであります。
たとえばわれわれのような医者が医学として研究している学問は科学ですね、これ。科学ですから、したがって肉体の生きてる状態に対してはいろいろあれこれと研究しています。
しかしながら、医者がどうしてもわからないのは、どういうわけで口の中へ食い物を入れるてえと、そして、口の中でもって下あごが動いて、下あごにくっついている歯が上あごに一つのショックを与えることによって咀そ 嚼しやくという運動が始まると、同時にだれに頼まなくても自然と舌ぜつ根こん
内部の微細胞から、易しい言葉で言えば舌の裏の唾液腺から唾がじゅくじゅく、じゅくじゅく出て、そして嚙んで小さくして、どろどろの重湯のように唾がしてくれて、それを飲み込みいいように飲み込ませてくれるというのが、どういうわけだろうということがわからない。
それで胃の中へ、その飲み込んだ唾と共に入っていったどろどろの食い物が、胃に落ち着くと同時に、どんな不精者の胃でもひとりでに動き出して、べつに手を添えて動かす必要なく、そして動き出すと同時に、肝臓、ひ臓、すい臓という三つの臓器から、このどろどろになった食べ物を、これを医学では麦芽糖状態と言いますがね。この麦芽糖状態をより一層もっと液体化して、液体化するのに胃が動いているだけではできないから、肝臓、ひ臓、すい臓からいろいろと異なった液が出てきて、そして十二指腸という、もうとてもとてもそれは細かいあの管を通して、小腸へと送ってくれる。
これ、どういう不思議な働きだろう。医者にはわからない。
いや、そんな細かい話じゃなくたって、どういうわけで人間というものは頭だけ毛があって、顔に毛がないんだろう。おサルのお尻は真っ赤だが、人間のお尻はなぜ真っ赤でないんだろう。
これもわからない、医者には。
根本がわからない。なぜ人間というものは好きな人に会うてえと、好きだと思う必要がないほど、なんとなく心が朗らかになってからに懐かしくなっちゃって、嫌なやつに会うてえと、嫌だと思わなくても、何とも言えない変てこな気持ちにどうしてなるんだろう。これがわからない
わかっている人は教えてくださいよ。そうすると私も世界一の学者になれるんだ。
こういう方面を考えようとするのが哲学。「てつ学」というのは、金物の学問じゃないんだよ。
はい、この「哲」という字は、日本の言葉に直すと、「哲とは悟りなり」という言葉。ね。悟りとは、自覚から入らない限りは悟れない。理解から入ったのは悟りじゃない。わかりましたね。
私も、ですから、今夜これからあなた方にお耳に入れるいっさいが、理屈から考えたんじゃありません。「天風先生はお医者さんだからわかったのだろう」と思ったら大違い。医者だったらわからないんだ。医学だけでもって人生がわかれば気楽千万ですよ。