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生き方

「"積極的な安楽死"を議論すべき」宗教学者が語る理想の最期

山折哲雄(宗教学者)

2019年01月21日 公開 2021年07月26日 更新

 

消極的安楽死は認められるが、積極的安楽死は議論すらされていない現実

ちょうど私が脳梗塞を患った頃、脚本家の橋田壽賀子さんが『文藝春秋』誌に「私は安楽死で逝きたい」というエッセイを発表し、大きな反響を呼びました。

現在、わが国では生命維持装置を取り外すなどの消極的安楽死(いわゆる尊厳死)は法的に認められていますが、薬の投与等による安楽死(積極的安楽死)は認められていません。

消極的安楽死とは、回復の見込みがない末期患者が、本人の自発的意思に基づいて、または患者本人が意思表示不可能な場合、親や子、配偶者などの自発的意思に基づいて、治療を行わない、あるいは延命治療を終了することにより、結果として死に至ることです。

ただ、実際の医療現場においては、医療従事者に刑事責任が生じうるということで対応に苦慮しているのが現実です。まして積極的安楽死については、本格的な議論さえなされていません。

平均寿命が短かった時代、死は足早にやってきました。しかし超高齢社会においては、ゆっくり、じわじわと訪れます。ゆるやかな終末期の時間をどう過ごすのか。

私は、「後期高齢者」といわれる75歳以上になったら"人生の成熟期"と見て、常に死を想定して生きることが大切だと考えます。

そもそも、数千年続く日本文化をたどれば、仏教による無常観とともに、日本人の思想には自死(自殺)への賢慮があらかじめ織り込まれていることに気づきます。

「死生観」や「生きることは死ぬことである」という言葉があるように、われわれ日本人は「生」と「死」を表裏一体にとらえてきたのです。

自分が生きた意味は何か。それが明らかになるのが「死」の問題であるとすれば、病室でチューブにつながれて意識もなく、いのちを長らえさせる医療は必要でしょうか。

他方、日本の財政面から見ても、対策が必要なのは明らかです。1950年に現役世代12人で高齢者1人を支えていた社会保障給付は、2017年には2.2人で1人、近い将来、2065年には1.3人で1人を支える予測です。わが国の社会保障給付の破たんは目に見えています。

人生100年時代――、長い余生を過ごすことが可能になった日本人ですが、これでは老いも若きもお先真っ暗です。

政治家や医師の間では安楽死問題がタブー視されていますが、だからこそこの難問についての議論を建設的に行うべきだと考えています。

 

歌人・土屋文明の「"生きて汚き100年"のすすめ」

土屋文明(1890~1990年)という歌人がいます。斎藤茂吉から『アララギ』の編集発行人を引き継ぎ、100歳で亡くなりました。まさに人生100年時代を象徴するような人です。

百年は めでたしめでたし
   我にありては 生きて汚き 百年なりき

これは弟子たちが開いてくれた100歳のお祝いの会で土屋文明が詠んだであろう歌です。私はこの歌が大好きです。

この歌には第一に「生き恥をさらす」というメッセージがこめられています。中国の歴史家、司馬遷は生き恥をさらした男といわれました。彼は歴史をそのとおりに書いて、武帝に宮刑に処せられた、つまり去勢されたのです。まさに生き恥をさらし、その後も平然と生き抜いて『史記』を完成させました。

土屋文明の人生もたしかに「生きて汚き100年」だったでしょうけれど、それなりに立派な成果を残した100年であったと思います。

だからいま、私はこの見事な土屋文明の生き方から何かを学びたいと思っています。おそらく私の場合は、生き恥をさらすだけに終わるのでしょうけれども……。

そしてもうひとつ、気になっている言葉があります。それは「晩節を汚す」というものです。長い人生を歩んできて、私はそれはもうやりたい放題、欲望のままに生きてきましたが、それにもかかわらず、晩節をできるだけ汚さないように生きたいという願望が心の内にあるからです。

人生100年時代は、長いともいえるし、短いともいえます。「生き恥をさらしてもよいではないか」「いや、晩節を汚したくない」この二つの間を行ったり来たりしながら生きてきたというのが、私の人生での偽らざる実感です。

必ず訪れるであろう死をいかに良い死にもっていくか、もちろんそれは千差万別でしょう。2017年7月に105歳で亡くなられた聖路加国際病院名誉院長の日野原重明さんのような大往生の神話があまりに世の中を覆ってしまうと、「いや、実際はそうじゃないはずだけど」とつい思ってしまいがちです。

私は、いまは「生きて汚き 百年なりき」でよいと思っています。そして、親鸞の言葉のように「閉眼せば、賀茂河に入れて魚に与うべし」といきたいものだと思っています。

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