「自分の根っこが枯渇しているかぎり、幸せになれない」
その影響もあってか、さまざまな方から「生き方」についての相談を受けるようになりました。
「このまま働き続けてどうなるのでしょうか……もう疲れてしまいました」
「いくら頑張っても、人やお金に恵まれません」
「息子が、娘が、私の言うことに耳を貸さなくなってしまいました」
「心変わりしてしまった彼と、どうやったら復縁できるでしょうか」
まったく、私たちの人生には、思いどおりにならないことがなんと多いことでしょう。だからこそ、私たちは「幸せ」になるにはどうしたらよいのか、日々模索しているのです。
しかし、自分の根っこの部分が枯渇している限り、「幸せ」にはなれないと私は思っています。
私は、「人間は誰もが自分の中心に一本の『木』を持っている」と考えています。
その木を育てるためには水分や養分、つまり楽しいことやうれしいことがたくさん必要です。それが不足していると、木は痩せ細り、傷つきやすく、生きていることが苦しくなってしまうのです。
大切なのは、まず自分の中の「木」に気づくこと。そして、その木の状態をきちんと把握すること。さらに、その木に「自分自身で」栄養と水をあげられるようになること、です。
生きていればイヤなことは大なり小なりあるもので、トラブルがひとつもないという人などほとんどいないでしょう。
けれど、あえて自分から飛びこむ必要はありません。
知らなくてよいことは、掘り下げる必要はありません。
例え知ってしまったとしても、追いかける必要はありません。
確実に言えることは、不安や愚痴を言い続けてしまう、「自分を止めるのは自分しかいない」ということです。
いま、あなたを取り巻いている環境や世界をつくっているのも、あなた自身でしかありません。
「この世は私がつくっているのだ」「だから何とでもなる」
くらいに、いつも思っていればよいのです。こういう話をすると、
「じゃあ自分に都合の悪いことは見ない、自己中心的な人間になっていいの?」
という人が必ず出てくるものです。
たとえば、仕事のできない後輩を「本当に面倒なので、見ないようにします」と切り離す。上司から受ける注意を「うるさいので聞きません」と切り離す……。
この世の中は自分がつくっていると思うことと、すべて自分にとって都合よく振る舞うということは、あきらかに違います。
自分の心地よさをつくるために、他人を不快にしないこと。
これが基本ルールです。
人間はひとりで生まれ、ひとりで死んでいく孤独な生き物ではありますが、この世で生き続けていくためには、誰かと関わらずにはいられません。
両親や家族も含めて、さまざまな人間と折り合いをつけて生きていく中で、うれしいこと、楽しいこと、心地よいことを見つけて、自分の木を太く高く育てていく──それが「幸せ」というものではないかと私は思っています。
そのために必要なのが、「困ったら、やめる。迷ったら、離れる。」ということ。
どんなことにも当てはまる、生きやすくなるためのキーワードです。ときには自分を甘やかしてガス抜きしたり、判断を先送りにしたりすることで、自然と心が楽になる生き方です。