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社会

“無差別殺人犯”と“匿名ネットユーザー”に共通する「他人への攻撃欲」

片田珠美(精神科医)

2019年05月29日 公開 2024年12月16日 更新

 

「悪を叩いてスッとした。楽しかった」

なぜ悪を叩くとスッとするのか。それは悪を叩くことによって、「自分には悪がない」というふりをし、自分自身の悪を否認できるからである。しかも、自分が否認した悪を外部の他人に転嫁する、つまり攻撃対象の他人に「投影」しているのだ。

これまで、ルールや一般常識、マナーから一度も外れたことがないという人はいないだろう。車の制限速度を1キロもオーバーしたことがない、通学路で寄り道したことがない、人の陰口を言ったことがない、他人を傷つけたことがない。そんな人はほとんどいない。誰だって多かれ少なかれ、「悪」に手を染めたことがあるはずだ。

にもかかわらず、自分が悪を糾弾するときは、そんなことなどなかったかのように他人を容赦なく叩く。

これはネットユーザーのことだけを言っているのではない。ニュースキャスターやテレビのコメンテーター、マスコミの記者なども、自分のことを棚に上げて非難することが珍しくない。

他人の不倫を批判していながら、実は自分も不倫をしていた。飲酒運転を批判しておいて、実は自分も飲酒運転をしていた。こんな矛盾は珍しいことではない。一般社会でも同様である。

自分のミスを棚に上げ、部下のミスを執拗に責める上司。外で不倫をしておいて、妻の浮気を疑う夫。これらの攻撃メカニズムはみな同じである。

こんなふうに攻撃する人たちは、無意識のうちに、先ほどの「投影」をしている。自分が持つ「内なる悪」を外部に追い払おうとしているのだ。自分の嫌な部分、内なる悪があるからこそ、他人の悪を見つけるとそれを排除し、自分があたかも正義であるかのようにふるまってしまう。

つまり、正義と悪はわれわれの中では表裏一体なのであり、自分に何かやましいこと、負い目を感じていることがある人ほど、他人を攻撃してスッとする快感に浸ろうとするのである。

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もっとも攻撃欲が強い、無差別殺人の言い訳

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