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私の苦闘時代~池森賢二・ファンケル創業者

2019年06月04日 公開 2019年06月04日 更新

ファンケルのサプリメント

2018年8月の日経MJ紙に「衰え、サプリで防げ」、〝ファンケル、筋肉・記憶維持狙う〟という見出しで、ファンケルのサプリメントが取り上げられました。「ファンケルはシニア層向けの健康食品事業を強化する……」という書き出しで記事は続いていますが、この記事を見て私は胸が熱くなりました。その理由は、サプリメントを軌道に乗せるまでの道筋にたいへん多くの苦難があったからです。

思い返すと、当社が「健康食品」を扱いだしたのは、サプリメントの生みの親ともいえる(故)山田行夫さんと私との出会いが縁でした。初めて「健康食品」を扱ったのは1986年4月で、販売した商品は生のローヤルゼリーです。そのころ山田さんは養蜂家で株式会社蜂研という会社を経営され、蜂を中心とした健康食品を製造販売していました。知り合ったのは顧問の大山先生の紹介でした。当時ローヤルゼリーは貴重品といわれ、100g1万5000円が相場で、高級品と称したものは2万円で桐の箱に入れて売られていました。当社は9000円で販売しました。その後、山田さんのすすめで中国茶のウーロン茶、プーアル茶の茶葉や、クロレラなども販売しました。

私がサプリメントの販売を決意した一つに、こんなエピソードもあります。ある営業マンが当社を訪問して、ソフトカプセルに入ったスクワランの販売をすすめました。300球くらい入っていて、これを3万円で売るというのです。そんなに高いものは売れないと言ったら、当社への卸値は5%の1500円と聞いてあきれたことがありました。

話は飛びますが、この山田さんが胃がんにかかり、手術の後、ご自分の会社を売却して、箱根の人里離れた山中に大きな土地を買って山荘を建て、そこの土地でケールや薬草を育て、おひとりで仙人のような生活を送っておられました。

ある日、大山先生とその山荘を訪ねました。そのときに山田さんが「自分はこの生活で健康を取り戻した。しかし、日本は先進国でありながら不健康な人が多い。自分は健康食品を誰でも気軽に買えるような価格で販売し、皆を健康にしたいという夢を持っていたが、それが叶わなかった」とおっしゃったのです。そこで「その夢を私に引き継がせてください。山田さんも一緒にお手伝いしてくださいませんか」とお願いしました。そこでご快諾をいただき、これがサプリメントの世界に入った大きなきっかけになったのです。

1994年にサプリメントの研究を始め、初代のサプリメント研究所長に研究熱心な石渡さんに就任してもらい、本格的にサプリメントの世界に入りました。

当時日本では、まだサプリメントという言葉は使われておらず、これも山田さんの発案で日本では健康食品という言葉はマイナーなイメージがあまりにも強いので、アメリカで使われていた「サプリメント」という言葉を使い、イメージアップを図りました。次の年には、読売巨人軍を退団して間もない原辰徳さんにイメージキャラクターとして登場いただき、「健康食品価格破壊」とテレビなどで宣伝し、この世界のイメージチェンジに乗りだします。

しかし案の定、無添加化粧品として評判の高いファンケルが、なぜそのようなインチキくさい事業を始めたのかと、多くの人々や多くの業界から批判を浴びせられました。また、この業界で暴利を得ていた健康食品関係者からの脅しも多数入りました。しかし、それに屈せずに耐えてきました。

私は、研究部門の充実を最優先課題として取り組んできました。品質の安全性はもちろんのこと、多くの臨床実験まで手がけ、エビデンスに加え体内効率をも重視した商品づくりを行ってきました。いまではサプリメントの研究では、日本のトップクラスであろうと自負をしています。薬とサプリメントとの飲み合わせをデータベース化した「サプリメントと薬の飲み合わせ(SDI)検索システム」の構築も、わが社が率先して行いました。これまでの努力が実り、いまでは業界も健全化して、大手企業までがサプリメント事業に参入するまでになりました。

一時期は、化粧品のリブランディングの犠牲になったことも影響して、100億円以上売上を落としたこともありましたが、いまでは復活して過去最高の売上にまで戻すことができています。

最近は「インバウンド」の影響が大きく、資生堂をはじめ化粧品業界には順風が吹いていますが、この影響はサプリメントまで広がっています。この点ではサプリメントのラインアップが充実しているファンケルが圧倒的に有利ではないかと、これからを大いに期待しております。
 

実力がついてきたわが社の社員

日めくりカレンダー『池森賢二のことば』に「他社からスカウトされる人間になってほしい」という言葉があります。いま与えられている仕事のプロフェッショナルになって、どこの会社に行っても通用できるような社員に育ってほしいという意味であることは、十分理解されていると思います。

ファンケルは代表的なSPA企業といわれています。以前は配送まで自社でできないか、真剣に検討した歴史もありますが、すべてを自社で行いたいというのが、私の創業からの理念でした。

ところが、私が経営に復帰する前の10年で、他社への依存体質がすっかり進んでしまっていました。いくつか例をあげますと、ファンケル銀座スクエア。大金を投入して丸投げのような状況で大型改装が計画されていました。

情報システム部門も外部への全面依存で、同規模の同業他社と比べて高額なシステム費用を支払っていました。

広告も各広告代理店に一斉にテーマを与え、提案された作品のなかから良いと思われる作品を採用するということから、一貫性のない広告が、これもまた他社依存体質のなかでつくられていました。例をあげたらきりがありません。

このため、私が経営に復帰してすぐに、改革案を十数項目提示しましたが、そのうちの重要項目として「他社への依存体質からの脱却」を掲げました。

このことが最も重要であることを自覚して、島田社長が中心となって全役員、全社員が大変な努力をしてくれた結果、ようやく他社依存体質から脱し、全部門で期待した成果が出せるようになってきました。これがいまの好業績につながってきたのです。

いまの時代、世の中は速いスピードでめまぐるしく変化しています。しかし、この変化にもきちんと適応できる体質の会社になってきました。化粧品部門も年齢に特化した、しかも大容量容器入り化粧品にもチャレンジしています。

サプリメントも研究力と商品開発力がつき、同業他社では真似のできない、機能性のあるサプリメントを他社に先駆けて開発できるようになりました。これからの時代、中心になるネット通販部門は、いまはまだ完全に成長軌道に乗っているとは言えませんが、いまの方針を貫いていけば、これからに大いに期待が持てそうで楽しみです。広告部門も媒体を含め、自社で的確な判断の下、商品広告や、企業広告、その他の媒体への広告やPRも自分たちの意思でしっかり行えるようになりました。

店舗の成長もインバウンドを除いても、スタッフの商品知識を含め、お客様の接待技術にも実力が備わってきたため、国内売上も伸長してきました。ことにサプリメントが順調に伸びてきたのはうれしい限りです。流通営業も確実に力をつけてきたことが実感できます。管理部門が販売部門をしっかりサポートしてくれていることから、販売部門が安心して販売できると同時に、しっかりと会社全体を支えてくれています。

ファンケル大学は、社員教育という側面から業績のV字回復に大きな役割を果たしてくれました。研究部門の充実とその実力は、他社に引けを取らないくらいに力強いものになり、大いに頼りにできる存在になっています。

いまのファンケルは実力と愛社精神を兼ね備えた優秀な社員の集まりになってきました。

島田社長の掲げた、「ALL-FANCL、ONE-FANCL」のもと、一致結束した社員の行動とそのシステムが、社員の成長と会社の業績に大きく貢献してくれています。

他社にスカウトされるぐらい人材の豊富な企業は、当然といえば当然ですが、好業績企業です。

わが社も他社からねたまれるくらい優秀な人材の集団になってきました。いまなら、わが社の社員にも他社からスカウトの声がかかるかもしれません。

※本記事は、池森賢二著『企業存続のために知っておいてほしいこと』(PHP研究所)より、一部を抜粋編集したものです。

著者紹介

池森賢二(いけもりけんじ)

1937年6月1日、三重県伊勢市生まれ。59年4月、小田原瓦斯株式会社入社。73年に同社を退社し、仲間数人とコンビニエンスの経営を始めるが失敗。そのときに抱えた負債を2年半で完済する。その後、当時社会問題となっていた化粧品による皮膚トラブルに着目し、80年4月、無添加化粧品事業を個人創業、81年8月、ジャパンファインケミカル販売株式会社(現在の株式会社ファンケル)を設立、代表取締役社長に就任。99年12月、東京証券取引所第一部に上場。自ら定年制をしいて2003年に会長、05年名誉会長に就任。13年1月に経営再建のため執行役員として復帰し、同年6月、代表取締役会長執行役員に就任、現在に至る。高齢社会を迎えた日本の医療費削減と「健康寿命」を延ばすための予防医療の必要性を掲げ、13年、私費を投じ東京・銀座に医療法人財団健康院「健康院クリニック」を開院。公益社団法人日本通信販売協会副会長、同協会第7代会長、社会福祉法人訪問の家後援会第2代会長を歴任し、現在、一般社団法人高機能玄米協会会長を務める。著書に、『ファンケルあくなき挑戦』(神奈川新聞社)、『社長から社員への手紙』(飛鳥新社)、『優しさと感動のこだま』(講談社)、『物事は単純に考えよう』(PHP研究所)などがある。

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