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漢を乗っ取った“謀略家”王莽の「恐怖の大粛清」

2019年06月29日 公開

石平(せき・へい:評論家)

王莽
(イラスト:斎藤稔)

<<評論家の石平(せき・へい)氏は、近著『中国をつくった12人の悪党たち』でこう述べている。

「腹の黒い悪党ほど権力を握って天下を取るのは中国史上の鉄則であって、中国の歴史と中国という国のかたちはこのようにしてつくられていった。中国をつくったのはまさに悪党たちなのだ。中国の歴史も、中国という国のかたちも、まさにそれらの悪党によってつくられているのである。このような伝統は、現代になっても生きている。」

英雄譚、美談に彩られた中国史上の有名人の本質に迫った同書より、本稿では漢帝国を乗っ取った梟雄、王莽の恐ろしさについて触れた一節を紹介する。>>

※本稿は石平著『中国をつくった12人の悪党たち』(PHP新書)より一部抜粋・編集したものです。

 

前漢を乗っ取って王朝を立てた王氏

劉邦が創始した漢帝国は、建国二百十数年目にして一度滅びた。「滅びた」というよりも、帝国はまるごと、ある男によって乗っ取られたのである。

本稿の主人公の王莽(紀元前四五年- 紀元後二三年)が、ほかならぬこの大胆不敵な「乗っ取り男」だ。彼は皇室の外戚として政権を独占したのちに、漢帝国の皇帝を廃位させたうえで自らが皇帝となり、漢に取って代わって「新(しん)」という王朝を建てた。

それは紀元後8年のことだが、その時点で、漢帝国の皇統はいったん途切れたことになっている。

それから15年後に王莽の新朝が反乱によって潰されて、漢の皇室の血を引く地方豪族の劉秀(りゅうしゆう)が漢帝国を再興した。したがって、中国の歴史上では、王莽によって乗っ取られた以前の漢帝国は「前漢」と呼ばれ、劉秀が再興した漢帝国は「後漢」と呼ばれることになる。

 

「謙虚」のパフォーマンスに徹しながら陰謀を進める

その王莽の初任官の黄門郎というのは、宮中の禁門の守護などにあたる郎官だから、それほど地位の高い官職ではない。しかしその後の王莽の昇進は、異例といえるほど早い。

黄門郎に任官してしばらく、彼は現代でいう「青年将校」にあたる射声校尉に遷任された。それからほどなくして、彼の叔父である成都侯王商および多くの名士・高官などの推薦を受け、王莽はとうとう新都侯に封ぜられたうえで、「騎都尉光禄大夫侍中」という皇帝の側近に侍する重要ポストに任命されたのである。

そのときから、王莽一流のパフォーマンスはますます堂に入り、名声と昇進を獲得するための政界工作も盛んとなった。そのときの様子に関し、『漢書・王莽伝』はこう記している。

「その爵位はますます高く、その節操はいよいよ謙虚であった。車馬・衣衾(いきん)を惜しみなく賓客に施し、家には何も余さなかった。名士を収め助け、将軍・宰相・卿大夫らと交わり結ぶことがはなはだ多かった。それゆえに位にある者がこもごも彼を推薦し、遊説する者が彼のために談論し、そのため王莽の虚名は高くあまねく、伯叔父たちをしのぐほどであった。王莽はあえてことさら奇異な行ないをし、これに処して恥じなかった」

つまり『漢書』の著者(班固)から見れば、王莽の「謙虚」にしても「惜しまない施し」にしても、それらはしょせん「奇異な行ない」の類いのものでしかない。

が、結果的には、王莽の「虚名」はそれでますます高まり、「位にある者」は皆、彼を推薦するようになった。もちろんそれこそが、王莽の思惑どおりの展開である。こうしたなかで、王莽はやがて大出世のための決定的なチャンスを摑んだ。

この一部終始を『漢書・王莽伝』はこう記している。

「当時、皇太后の姉の子淳于長(じゅんうちょう)が才能を認められて九卿となり、王莽の上位にいた。莽はひそかに淳于長の罪過を探し求めてこれをつきとめると、大司馬の曲陽侯王根(おうこん)を通じて言上した。そのため長は罪に伏して誅殺され、莽は忠義正直の信を得た。……よって王根は骸骨を乞い、自分に代わるべき者として莽を推薦したため、主上はついに莽を抜擢して大司馬に任じた」

『漢書』が記したこの政変劇の粗筋から、王莽という謀略家の恐ろしさの一端がよく分かってくるであろう。表向きは「謙虚」なふりをして「虚名」を博していながら、裏では用意周到な陰謀を密かに進めていた。この陰謀の実施によって、王莽はライバルの淳于長を潰し、大司馬である王根に取り入ってその後継者となったのである。

例の「献身的な看病」から14年目にして、38歳となった王莽は、やがて大司馬(国防大臣)の座に昇り、皇帝を補佐する立場で最高権力の中枢に入った。

そのときから、王莽のパフォーマンスはさらに本格的なものとなった。『漢書・王莽伝』はこう記した。

「王莽はすでに同輩を抜きん出、伯叔父たちの後を継いで政を輔佐し、前人をしのぐ名誉を挙げようと望んで、不屈の努力をかさね、賢良の諸士を招聘(しようへい)して領地の収入を賞賜(しようし)としてことごとく振る舞い、しかも自分はいよいよ倹約した」という。

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