館山ダルク代表の助言「身近な人が薬物中毒になったら」
2019年11月09日 公開
薬物での事件が報道されるたびにその名が伝えられる「ダルク」。民間による薬物依存症リハビリ施設であり、Drug Addiction Rehabilitation Centerの頭文字を合わせた造語で、全国各地に約70箇所ほど存在している。
現在、千葉県の館山ダルクの代表を務める十枝晃太郎氏は、自身もかつて重度の薬物依存症に苦しんだ入所者の一人だった。現在では薬物を断つことに成功し、同団体で同じ境遇に苦しむ人たちのサポートを献身的に続けている。
そんな十枝氏が自らの体験を基に薬物依存者の実態と更生について赤裸々に記した著書『私は世界中から命を狙われていました』にて、「もし身近な人が薬物依存になってしまったら」について言及している。ここではその一節を紹介する。
※本稿は十枝晃太郎著『私は世界中から命を狙われていました 館山ダルク代表が語る薬物中毒の真実』(インプレス刊)より一部抜粋・編集したものです。
死の淵まで見てようやく知った「薬物の本当の恐ろしさ」
館山ダルクの目の前にはすぐ館山病院があります。誰かが発作で倒れたらすぐに運べる……と思うでしょう。ところが、全然間に合わないのです。
断薬に成功していて、さっきまで普通に話をしていた人が、急に息ができなくなったり、バタッと倒れたり、突然に亡くなってしまうことが多いんです。
周囲はもちろん、本人でさえもどこが生と死の境目なのかわからない。そこも薬物の恐ろしいところです。
ダルクに来た人の中には、「もしかしたら発作が起きて死んでしまうかもしれない」と恐れながら毎日を過ごしている人もいます。
「死でしまうならやめればいいじゃないか」と思うかもしれませんが、何の抑制も利かなくなるところが、薬物の怖さだと思います。
僕はこんなにいろいろな薬物に手を出し、警察の留置場や病院に行きました。
実際、死の淵まで行ったかもしれない状況にもかかわらず生きていた。ただただ運が良かったのです。こんなことを言うと怒られるかもしれませんが僕の場合、薬物によっていろいろなことを教えられた部分がありました。
家庭のせいにするつもりはないのですが、ものを知らず、人の気持ちを考えず、好き勝手に生きていた子供でした。薬物中毒になり、自分が死ぬ思いを経験しなければ他人の痛みを知ることができませんでした。