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漢帝国と古代ローマ帝国が「ほぼ同時に衰退」した“偶然ではない”理由

神野正史(じんのまさふみ:予備校講師)

2020年01月13日 公開 2022年08月01日 更新

 

各地で「繁栄していた国」と「くすぶっていた国」が逆転した時代

こうして、地理的には大きく離れていたユーラシア大陸の" 西の果て"のローマ帝国と"東の果て"の後漢王朝が、歴史的に見事なシンクロを示す中、両国に挟まれた地域でも同様な歴史動向が展開されます。

もちろん、ローマ・中国とは前時代までの歴史条件がまったく違いますから、ここまでの一致ではありませんが、「前時代に発展していた国・地域はこの時代に入るとともにことごとく衰微し、前時代にくすぶっていた国・地域はこの時代に入るとことごとく繁栄する」というこの時代の歴史法則は見事に貫徹されます。

すなわち、前時代に発展していたクシャーナ朝・サータヴァーハナ朝は、共にこの時代に入るや衰微し始め、この時代の終わりとともに滅亡していきます。

前時代までくすぶりつづけてきたイランでは、旧時代を支えてきたパルティア王国が亡び、代わって建ったササン朝がゾロアスター教を国教として急速に発展していきました。

西方ではローマ帝国を討ち破って時の皇帝を捕虜 としたばかりか、東方ではクシャーナ朝を征服して中央アジアまで進出、西アジアに覇を唱えています。

前時代まで漢王朝に劣勢を強いられてきたモンゴル高原からタリム盆地にかけては、漢の衰滅とともに「五胡」が抬頭しはじめ、魏晋時代をかけて力を蓄え、西晋が内乱状態(八王の乱)に陥るや、これに乗じて畿内に侵入、華北に異民族国家が濫立する「五胡十六国時代」に突入し、次の南北朝時代の礎を構築していく原動力となっていったのでした。

 

日本では国家形成の動きが?

このように、大国とその周辺諸国は「大国が繁栄期を迎えるとその周辺諸国は衰え、大国が衰亡期に入るとその周辺諸国が隆盛する」という相反的な動きをすることが多い。

中国という東アジアの覇権国家の力が衰えていくこの時代に、これまで国家形成が進んでいなかった日本では統一への動きが始まります。

ただ、このころの日本については、『三国志』の「魏志」東夷倭伝にわずかに伝わるだけで他に記録がなく、詳細についてはほとんどわかっていません。

このように、世界史にはある段階ごとに「特性」「流れ」が存在するのです。この「流れ」を把握することこそが、世界史を学ぶ醍醐味だといえるでしょう。

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