医学の視点から、日本人の体質を踏まえた予防医療を考え続ける、医師で著述家の奥田昌子氏。著書『日本人の病気と食の歴史』では、日本人の病気と食の歴史をたどり、今の時代に生かすべきヒントを引き出している。
本稿では同書より、平安時代の貴族の食事の実情を探りつつ、日本史上において記録に残る最古の糖尿病患者だと言われる藤原道長に触れた一節を紹介する。
※本稿は奥田昌子著『日本人の病気と食の歴史』(ベストセラーズ刊)より一部抜粋・編集したものです。
貴族の食事のほうが不健康だった?
平安時代には紙と筆が普及し、読み書きできる人が増えたことで、歴史書、文学、絵巻物にさまざまな病気が頻繁に描かれるようになりました。現代の病名でいうと赤痢をはじめとする胃腸の感染症、マラリア、天然痘、インフルエンザなどです。
そのなかに、数は少ないながら糖尿病と思われる記載が見つかります。糖尿病になると血糖値が上がるために体の細胞から水が出て、非常に喉が渇きます。
そのため当時は飲水病とか消渇(しょうかち)と呼ばれていました。
糖尿病は代表的な生活習慣病で、近年、患者数の急速な増加が問題になっています。
厚生労働省が実施する国民健康・栄養調査によると、2016年には糖尿病が疑われる成人が初めて1,000万人を超えました。海外では作曲家のバッハや画家のセザンヌ、小説家ヘミングウェイ、発明家エジソン、中国の毛沢東らも糖尿病だったといわれています。
おなかの脂肪、正確にいうと内臓脂肪の蓄積と運動不足が発症に関係することから、かつては「ぜいたく病」といわれることもありました。実際には遺伝的ななりやすさを背景に複雑な過程をへて発病しますが、古代社会に限ってみれば、やはり上流階級の病気でした。
様々な種類の菓子を楽しんでいた平安貴族
奈良時代と同じく貴族の主食は白米を蒸したおこわで、変わりご飯として雑穀や野菜を加えて炊いたり、ゴマ油でご飯を炒めたりすることもあったようです。おいしそうですね。
食事はさらに豪華になり、天皇の即位をはじめとする重要な儀式ともなれば、焼き物、煮物、蒸し物、煮こごりなど、当時最新の調理法を駆使した料理がきらびやかにお膳を飾りました。
味つけの基本は塩と酢で、味噌と醤油に近いものも使い、ワサビ、タデなどの薬味もあったようです。漬け物や塩辛もありました。酢は古墳時代にあたる400年ごろに、酒造りの技術と前後して大陸から伝わったと記載されています。
現代とくらべると味つけの技術が発達しておらず、料理は全体に味が薄かったようです。そのため、食べるときに各自が食膳で調味料を使って好みの味にしていました。
当時の砂糖は黒砂糖だったようですが、きわめて高価なうえにめったに手に入らず、さしもの平安貴族も気軽に口にすることはできませんでした。代わりに使われたのが蜂蜜、甘葛(あまづら)、水飴などの甘味料です。
甘葛はツタの茎に傷をつけ、したたる液を煮詰めたもので、『枕草子』の一節に「削り氷(ひ)にあまづら入れて、新しき金鋺(かなまり)に入れたる」と出てきます。再現した研究者らによると上品で、さらりとした甘味だそうです。
水飴は奈良時代から作られるようになり、当時のおもな原料は米で、ここに麦や米の芽生えを加えて糖化させていました。
時代がくだると原料に麦芽をもちいるようになります。この他に、干し柿に吹く白い粉をはけで集めて使うこともあり、こちらは砂糖より甘味がずっと強いんだとか。干し柿の甘さは格別ですからね。
いずれの方法も大変な手間がかかるため、砂糖ほどではないにしても高価でした。それでも貴族らはさまざまな菓子を楽しんでいたようです。
平安時代中期に作られた辞書『和名類聚抄(わみょうるいじゅしょう)』には、「ちまき」「くさもちひ(のちの草餅)」「せんべい」などの言葉がすでにおさめられています。
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見た目重視で栄養のバランスは後回しだった貴族の食事