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生き方

「昼休みが孤独だった」人づきあいをせず漫画に没頭した“スヌーピーの父”

デイヴィッド・マイケリス(著)・古屋美登里(訳)

2020年03月24日 公開 2022年07月08日 更新

 

作品のなかには自分しかいない

「この漫画には私しかいません……ここのキャラクターたちはすべて私なんですよ。私のすべてが漫画に込められているんですからね……」と繰り返した。

シュルツは自分のことを公の場で何度もこう主張してきた。

「中西部の平凡な男」として生を享けたが、理性と天賦の才があり、それを利用する機知と意志があったので、幼い頃から自分が何をすべきかわかっていた、と。

彼の類い稀れな才能を理解するだけの洞察力や感受性を持った人が教育の現場にはひとりもいなかった。理解してくれたのは、同じ言葉を喋らない親友、言うことを聞かない犬だけだった。

とはいえ私生活では、学歴がなくとも愛情深い両親が安全な家を提供し、自分たちがつかめなかった夢を追う息子を慎ましく応援した。

だが両親が与えたのは、よくわからない実践的な忠告と通信教育への援助だけだった。

それ以降、シュルツの成長物語には、自分以外に意味のある人物は登場してこない。彼の話では、だれからもなにも教わらなかった。

自分の夢を叶えるためにどうするかといったかすかな手がかりすら、人から教えられたことはなかった。

孤独の芸術家は恍惚と不安のなかで多くのことを学び、母の早すぎる死と、彼の苦悩に気づかない世間を知って、その他のことを学んだ。

だが、この世に生を享けた瞬間からずっと、彼だけは自分が何をしていきたいかわかっていた。彼だけが、人生の枠組みのなかで、自分が成功することがわかっていた。

彼を本来の目的から逸らそうとする者が現れようが、結局自分で最終的な判断を下し、四角いコマのなかにあるどんな言葉でも、どんなペンの線でも、自分のもの、自分だけのものであると熱心に主張した。

シュルツには『ピーナッツ』がいったん人気を博したら、死ぬまでそれを自分ひとりで描き続けることがわかっていた。協力者やアシスタントに絶対に頼らない、と心に決めていた。

『ピーナッツ』の作品はどれも、独自の視点で描かれた彼の最高傑作だった。

どの作品のどのアイデアも彼のものであるのは、この漫画が彼のすべてであり、彼にしかできないものだったからだ。

シュルツはそう信じてやまなかった。

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