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まるで忍者!? 『麒麟がくる』がさりげなく描いた三河兵の強さ "名古屋の前田慶次”の徹底考察

前田慶次(名古屋おもてなし武将隊)

2020年06月12日 公開 2022年06月30日 更新

 

幸若舞、皆大好き「敦盛」

歴史好きにとって外せぬ踊り、敦盛が「麒麟がくる」でも登場した。「人間五十年 下天の内をくらぶれば夢幻のごとくなり 一たび生を受け滅せぬもののあるべきか」。口ずさんだ者も多かろう。

幸若舞とは700年以上の歴史を誇る伝統芸能で、能や歌舞伎の原型ともなり、武士の生き様を演目化したものが多く、室町時代に大流行した。幼くして討ち取られた平敦盛を題材とした演目が敦盛で、命の長さを唄う内容である。

何故、信長は敦盛を舞ったか。今回の桶狭間の戦いは、義元本隊と信長本隊がぶつかる戦で、これまでの小競り合いとは訳が違う。

それが信長の台詞「儂は死ぬやもしれん」に秘められておった。その一世一代の大きな戦の前に精神統一をするため、敦盛を舞ったと儂は考える。

 

奇妙丸は信長の隠し子だったのか?

まず結論から申すと、奇妙丸は隠し子ではない。これは『麒麟がくる』のオリジナル演出である。信長は岐阜城にいた頃から、帰蝶とは屋敷離して一緒に住んでいなかったとかも聞く、まぁ夫婦の在り方は其々じゃ。

今回、隠し子として登場した奇妙丸だが、信長が最も愛した側室、吉乃の子供である。吉乃の名は諸説あるが、今回のドラマでは吉乃の名で登場しておった。

吉乃は、信長が足繫く通って逢引き、現世でいうナンパにナンパを重ねた結果、掴んだ美しき女子。実質的な正室の立ち位置として生活しておった。しかし、若くして亡くなり、信長は悲しみにくれ涙した。

帰蝶が信長と結婚する前に、吉乃は信長の子、戦国一のキラキラネーム「奇妙丸」を出産したともいわれておる。

ドラマには登場していなかったが吉乃は、信長の子をどんどん産んでいた。奇妙丸を筆頭に、茶筅(ちゃせん)や三七(3月7日生まれ)など、信長は元祖キラキラネーム名付け親として有名であった。されど、我等は幼名から改名する故に、現代とは名付けの感覚が違うやもしれんな。

 

熱田神宮へ向かった信長と前田慶次の浅からぬ縁

桶狭間の戦いの1日は、明朝4時の清須城からはじまる。慌ただしい城内で信長は戦況の報を聞き、飛び起き敦盛を舞う。湯漬けを食らって、小姓衆と5騎のみで突如、清州城を出発した。その後、10時に鳴海城を囲む砦、善照寺砦に入った。

清須城と善照寺砦の道中、8時に熱田神宮に着陣し、百姓を中心に尾張勢を集結させていた。熱田神宮は源頼朝公が崇拝した武家にとって神聖な場所、信長はここで戦勝祈願をする。

この熱田神宮の参拝は、信長本人のためというより家臣達の士気向上が目的であった。信長は「皆と共に熱田の神に参拝をした。我等は熱田の神の加護がある、神は我らに味方をしておるぞ!」と兵士たちに伝えたのではなかろうか。

その言葉が家臣たちを鼓舞し、格段に士気が上がったと予測する。合戦中に何が起ころうと「厄払いは済んでおる、気にせず進め」と言っておけば、混乱による戦線崩壊は防げる。信長の熱田神宮参拝は粋な計らいと同時に、家臣たちを洗脳した見事な策である。

余談ではあるが、清須城から共をした小姓5人の中には儂、前田慶次の叔父である佐脇良之も参加している。

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桶狭間の戦い、勝利の要因

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