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今川義元は馬に乗れなかったのか? “名古屋の前田慶次”の考察



2020年06月06日 公開

前田慶次(名古屋おもてなし武将隊)

名古屋おもてなし武将隊の前田慶次

全国にその名を轟かせる「名古屋おもてなし武将隊」。名古屋城に詰め、観光客をもてなす武将と足軽の6人組である。2009年11月、名古屋開府400年のPR大使として名古屋にゆかりの6人の武将と4人の足軽で名古屋おもてなし武将隊が結成、すでに10年以上にわたり活躍を続けている。

そのうちの一人、前田慶次氏は名古屋城検定に検定過去最高点で合格し同検定の名誉顧問を務め、日本城郭検定にも合格するなど歴史への造詣も深い。

前田慶次氏が自身のYouTubeチャンネル「前田慶次5分で戦国時代チャンネル」にてNHK大河ドラマ『麒麟がくる』を徹底解説している。本稿ではその一部を紹介する。

※本稿はYouTubeチャンネル「前田慶次5分で戦国時代チャンネル」にて配信された内容を再構成したものです

 

戦国時代好きにとって熱い年、1560年

皆のもの、NHK大河ドラマ『麒麟がくる』は視聴しておるか。

ドラマは、放送時間の関係で歴史の細部まで描けていない部分がある。
描かれていない部分を、儂、名古屋おもてなし武将隊「前田慶次」が徹底解説をするぞ。

第20回「家康への文」では1560年から始まっている。まずは、登場人物の年齢を確認致そう!

明智光秀33歳 織田信長27歳 煕子31歳 帰蝶26歳 松平元康18歳 朝倉義景28歳 今川義元42歳 斎藤義龍34歳 羽柴秀吉24歳 そしてドラマには出ていなかったが、石田三成誕生。他にも直江兼続といった乱世に名を轟かせた武士たちがこの年に誕生した。

戦国好きにとっては、1560年は熱い一年と言えるであろう。

 

武士は髪型を整えるのにお金がかかる

この時代、光秀は朝倉家に世話になっているが正式に仕官をしているわけではなく、寺子屋を営んでいる。前回の放送に比べて、生活環境はあまり変わっておらぬが髪型がよりぼさぼさになっていた。

なぜあのような髪形になっていたか、それは浪人であったためである。
何故、浪人は総じて髪がぼさぼさなのか。

武将の髪型といえば、月代(さかやき)と申して前頭部を剃り上げて後頭部に髷を結うのが流行りであり、機能的であり、一般的な髪型であった。

それに対して、浪人の多くが総髪(そうはつ)という、剃らずに髪を後ろに結んでいたポニーテールのような髪型しておった。なぜ、総髪にしていたか、それは経済的な理由が大きい。

月代は剃る、結ってもらう必要がある。現世の美容師なるものが職業として確立しており、武士はお得意様であった。何故かと申すと武士は定期的にメンテナンスをせねばならぬ。

最低でも週に一度は剃り直し、結い直す。身分が高ければ高いほど見た目に拘る。現世の富裕層にも通ずる価値観である。

故に金子も無い浪人の光秀は髪に金をかける事ができず、ぼさぼさの総髪で描かれているというわけじゃ。

斎藤家に仕えていた時の髪型と比べると、その差は歴然である。

 

今川家臣団の重要人物、朝比奈親徳

朝比奈親徳。知らぬ者も多いかもしれないが今川家臣団において、かなり重要な人物である。

朝比奈は、太原雪斎亡き後、側近として軍事・政治両面で義元を支え、特に今川の三河統治において絶大な力を誇った。今川義元の父氏親から名前を頂戴しており、義元敗戦後は子である氏真に仕え今川家の為に尽力した勇猛な武士である。

信長の父である信秀と義元の小競り合い時代から活躍しており、織田家にとっては因縁の相手ともいえる。朝比奈は義元討死を聞いて最も悲しんだと聞く。ドラマでの桶狭間の戦いにおいて、どのように描かれるか注目すべき登場人物の一人である。

今回の「今川家は、日ノ本屈指の大大名となられましょう」良い台詞であったな。

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