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まるで忍者!? 『麒麟がくる』がさりげなく描いた三河兵の強さ "名古屋の前田慶次”の徹底考察

前田慶次(名古屋おもてなし武将隊)

2020年06月12日 公開 2022年06月30日 更新

 

桶狭間の戦い、勝利の要因

桶狭間の戦いは奇襲の策が高く評価されておるが、真っ向からぶつかったとも言われ、儂は織田軍の勝利が奇跡的なこととは思っていない。織田軍の勝利の要因としては、戦の定石である兵の数と質、武器の質を押えておったところにある。

兵の数については、これはドラマでも詳しく描かれていたが、今川軍2万人といっても、駿府、丸根砦、鷲津砦、鳴海城と本陣以外にも兵を分散していた。

そのため、信長軍3,000人に対して、今川本陣は7,000人程度の兵力となっていた。分散した義元に対して、信長は兵力を集中し今川本陣のみを標的にして戦いを挑んだ。

次に兵の質だが、織田軍として参陣した武将は、柴田勝家、森可成、林秀貞、池田恒興、佐々正次、佐々成政、前田利家、佐脇良之、金森長近など、その後、武名を轟かす強者ばかり。多くの武将が戦場を駆け巡り活躍した。

最後に武器の質については、周知のとおり信長は鉄砲の実践投入が早かった。しかし鉄砲だけではない、信長は槍にもこだわっていた。

織田軍は今川軍が使用していた槍より長く、それにより間合い、つまりリーチが長い。この長い槍を使いこなすため、織田軍は鍛錬を重ねていた。信長は太刀のイメージがあるが、槍の名手でもあった。

甲冑にも違いがあり、今川軍は人数は多いが、御貸具足といった百姓達が着用する甲冑ばかりだった。対する織田軍は、大鎧を身に着ける武将で軍が構成されていた。戦の達人VS.駆り出された平民集団、誰が見てもどちらが勝つか分かるであろう。

石水交じりの雨降りの天候、地の利も味方したがそれだけでなく、織田軍は軍事面での強さを遺憾なく発揮した結果、桶狭間の戦いに勝利したのだ。

 

桶狭間の戦い後の今川家と織田家は…

今川家は、総大将義元を始め有能な家臣を失った。今川家は義元の後、嫡男の今川氏真が当主となる。氏真は蹴鞠や和歌に没頭、周囲からも愚将と評された。

ここぞとばかりに家康は三河を支配することに注力、それに対し氏真は、将軍足利義輝に仲立ちを任せっきりにした。そうこうしてるうちに、勢力を伸ばした家康に遠江の侵攻を許してしまう。

さらに、義元の時代に甲斐の武田信玄、相模の北条氏康と結んだ甲相駿三国同盟も崩れ、駿河の地も信玄に攻められてしまう。

信玄の駿河侵攻により、今川家の拠点都市であった駿府も占領されると、氏真は家臣・朝比奈の掛川城に逃げ延びる。

しかし掛川城も、西から迫った家康に包囲され、やむなく開城、城を明け渡す。掛川城の開城により、氏真は領地のすべてを失い、戦国大名としての今川家は滅亡する。

打って変わり、信長は完全に尾張を統一する。何と桶狭間の戦いから僅か10日後、美濃侵略を開始、西美濃安八郡に侵攻した。しかしながら、斎藤義龍は強く、勝利は得られなかった。

義龍は幕府中枢へ入ろうと近江六角と組み、北近江の浅井長政と戦い始める。信長は、その浅井と手を結ぼうと画策を始める。じゃが、残念至極な事にドラマの中で義龍はもう死んでおる。

故に、これについては描かれんじゃろうと儂は予想する。このように、桶狭間の戦い後は各地で領土争いが激化していった。それまでは、近隣の国の争いであった戦国の世も、誰が天下を取るのか?という覇権争いへと移る。

「桶狭間の戦い」が、天下統一に向けた戦乱の世のターニングポイントになったとも言える。

 

剣豪将軍は、松永久秀は、そして光秀はどうなる?

さぁ此度の解説は如何であったか?知識を深められたか?

これからの「麒麟がくる」は、目まぐるしくおこる多くの戦と信長の快進撃に注目じゃ。

剣豪将軍・足利義輝が夢半ばに倒れる。劇中の光秀は将軍に対して強い想いを抱いてから、恩人松永久秀との関係性がどう変わるか、そして新たな将軍を擁立する信長に対しては、新たな感情が生まれるであろう。どういう経緯で信長に仕えるのか、これは大きな見所である。

この先の信長は、今まで見せてきた顔とは随分変わる、その変化にも注目したい。信長に立ちはだかるのは、武家ではなく宗教勢力つまり、民衆との戦いが激化する。光秀が民に刃を向け、火を放つのか。本能寺の変にも繋がる伏線が、きっと張り巡らされると考察する。

『麒麟がくる』はしばし中断するが、再開後の光秀の活躍が楽しみじゃ。

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