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社会

“鉄道”にも大きな差…独ソ戦下で動かなくなった「ドイツ機関車」

鴋澤歩(ばんざわあゆむ:大阪大学経済学研究科教授)

2020年06月22日 公開 2022年02月22日 更新

 

アルベルト・シュペーアによる粛清人事で、ドイツ国鉄幹部は若手中心に

それでも輸送回復にようやくある程度成功の兆がみえた1942年春、ライヒスバーンに大掛かりな粛清人事の手がはいった。

1942年2月、早期講和を総統大本営に訴えた、アウトバーンの生みの親として名高いフリッツ・トットが飛行機墜落で急死した。後任には、「ヒトラーお気に入りの建築家」アルベルト・シュペーアが電撃的に就いた。

彼はヒトラーの個人的な信頼をたてに、軍需大臣として前任者以上に権勢をふるえた。トットのはじめた工業生産の効率化システムを導入し、企業間で利害を調整して部品等の規格化を実現する。

その一方、個々の企業には利潤確保によって、増産と技術開発のインセンティブをあたえた。「ナチス・ドイツ経済の奇跡」ともよばれる戦時増産と生産性上昇を実現したが、その内実は、巨大な規模の外国人労働力の強制的投入にもあったといわれる。

シュペーアは、政財官界の若手の友人たちとの「サークル」で物事を進めるのを好んだ。まだ30代で、高齢者が目立つドイツ各界のエスタブリッシュメントには、世代的反感を隠さない。その点でナチの党員らしかった。

ナチは、主観的にはいつまでも若者の党であった。遠くは世紀転換期ドイツの「汚れた現代世界を変革する」青年運動の流れもくみ、また、第一次大戦で苦しんだ若い従軍経験者を代表する意識もあった東部戦線を破綻の危機にさらした輸送危機の責任は、シュペーアによれば、73歳のドルプミュラーを筆頭とするライヒスバーンの老人たちにあった。

3月から5月にかけてシュペーアは、ドルプミュラーを除くほとんどの幹部職員の更迭を断行する。かつてユダヤ系の同僚の解雇に賛成した平均年齢60代の理事会メンバーたちは、すべて若い世代と交代させられた。

退職者のなかには、66歳になろうというクラインマン副総裁・交通省次官もいた。ライヒスバーン内ナチ党員の代表で、党員歴の定義上はあやしい「古参党員」然として振る舞っていたが、ヒトラーの同意をとりつけたシュペーアにかかっては、ひとたまりもなかった。

後任は、37歳のアルベルト・ガンツェンミュラー。ミュンヘン工科大学出身で、ライヒスバーン入社後はミュンヘンで鉄道電化を中心とする研究開発に従事していた。

バイエルン鉄道が国有化時に必死に守った、ライヒスバーン社バイエルン・グループ管理局の技術開発部門(在バイエルン鉄道中央局など)の一員であるわけだ。

学生時代にはヒトラーのビアホール一揆(1924年)にも参加した、掛け値なしの「古参闘士」党員だが、その後はべつに熱狂的なナチ活動家でもなかった。

第二次世界大戦勃発で、秘めていた野心に弾みがついたようである。西部戦線に志願し、ついで東部戦線に鉄道の専門家として転じる。そこで路線復旧に奮闘したことが、シュペーアの友人の目にとまった。

 

虐殺される住民の移送に利用された鉄道

ヴァルター・ブルクマンというその男は、トット機関の一員であったが、東部戦線では、「アインザッツグルッペ」の一指揮官でもあった。アインザッツグルッペとは、戦地・占領地でのユダヤ人虐殺を任務とした特殊部隊である。

ポーランド、ウクライナ、ベラルーシ、ロシアなどの東部地域では、ユダヤ人、パルチザンの掃討を名目に、事実上無差別的な大規模住民虐殺が、親衛隊と国防軍、さらに一部現地人協力者の手で展開された。

「ホロコースト」の比重は、比較的近年になって詳細が解明されつつあるこの大量虐殺を考慮に入れると、地理的にはより東に、凶行の現場としては絶滅収容所から東部戦線に、手段としては工業的に整然たる印象のある毒ガスによる集団殺害から、阿鼻叫喚の組織的大量銃殺へ、……と印象としてもかなり移動するであろう。

虐殺される住民の移送には、現地の鉄道が好んで使用された。駅とその周辺の土地が、大量銃殺の現場となることが少なくなかったようである。東部に勤務する鉄道人ならば、占領地で何が起きているかに無知であるのは難しいはずであった。

それどころか、報酬にひかれて駅員が人手不足をおぎない、穴の中に横たわって並んだ被害者を銃撃したケースもあったとの証言もある。

交通省次官に就任すると、ガンツェンミュラーはポーランド総督ハンス・フランク、ドイツ警察長官ハインリヒ・ヒムラーなどの要人と短期間に独自のコンタクトをもち、「ユダヤ人問題の最終的解決」に直結するユダヤ人移送(「デポルタツィオーン」)の遂行を要請されている。

ドイツ・ライヒならびに欧州各地、とりわけゲットーからの東部に建設された絶滅収容所への移送を、親衛隊がライヒスバーンに注文・委託した特別列車によっておこなうのである。

ガンツェンミュラーはこの仕事を、決して快くは思っていなかったという。だが要人との関係を築くことは、ナチ体制での今後を考えても必要であった。次は国鉄総裁へ、という出世欲が、大量殺戮への関与を心中で正当化させていたらしい。

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悪化する戦況に反して、激化するドイツの鉄道の生産と開発

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