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“鉄道”にも大きな差…独ソ戦下で動かなくなった「ドイツ機関車」



2020年06月22日 公開

鴋澤歩(ばんざわあゆむ:大阪大学経済学研究科教授)

現在は観光客にその風光明媚な風景を提供するドイツの鉄道(鴋澤歩)
(写真はイメージです)

現在のドイツにとっての鉄道は、社会生活や経済活動にとって欠かせぬインフラであるのみならず、同地を訪れる観光客にも風光明媚な景色とともに、その旅を楽しませる交通手段として重要な役割を果たしている。

しかしながら、ドイツの歴史を紐解けば、統一国家の形成や二度の世界大戦などの激動を通して、鉄路は様々な役割を果たしたという。

本稿では、大阪大学教授の鴋澤歩氏の新著『鉄道のドイツ史』より、1940年代のドイツとソ連の交戦下における鉄道の状況に触れた一節を紹介する。

※本稿は鴋澤歩著『鉄道のドイツ史 帝国の形成からナチス時代、そして東西統一へ』(中公新書)より一部抜粋・編集したものです

 

マイナス40度でドイツ製の機関車は動かなくなった

1941年から42年の記録的な厳冬下で起きた補給停滞は、モスクワの手前で越冬する羽目になったドイツ軍を、戦線崩壊の一歩手前まで追いつめた。ドイツ製機関車は零下40度以下になると動けなくなる。

さまざまなメンテナンス設備が機能していないなか、稼働率は下がり、そもそも戦時計画でライヒスバーン(ドイツ国鉄)が冷遇されていたために数が足りなかった機関車をはじめ、車輌はいっそう不足するようになった。

一方のソ連・赤軍は、緒戦の大混乱を収拾すると、すみやかに本来の輸送能力を取り戻していた。41年7月には、ロシア革命の内戦とスターリン粛清の嵐を生き抜いたA・V・クルレフ中将を長とする軍需最高委員会(GUTAKA)に軍事輸送の権限を集中させ、赤軍軍事輸送中央局とその関連部局を統轄した、完全に一元化された鉄道運行体制を築いた。

クルレフは、ドイツ側ならばライヒスバーン、国防軍兵站部・輸送部さらに戦時計画経済当局のそれぞれのトップを一身に兼ねるともいえる強力な存在だった。

途方もない地理的奥行きをもったソ連の鉄道は、一元的な指揮系統によって、その巨大な輸送力をきわめて効率的に運営したのである。東部戦線で複数の主体が管轄を争い、崩壊を招きかけたナチス・ドイツの軍事輸送とは対照的であった。

ドルプミュラー国鉄総裁はしばしば東部に赴き、総督府や国防軍と談判した。本来の鉄道業であるドイツ国鉄・ライヒスバーンへの東部戦線での鉄道運行の権限回収と、同時に大規模投資による輸送能力そのものの底上げを試みた。

すでにライヒスバーンへの非難の声は高く、前線に近い現地の鉄道管理局長二人が責任をとらされ、強制収容所に一時送られているほどであった。

ドルプミュラーにしてみれば、責任をとるべきは無能な東部鉄道管理局や野戦鉄道管理局だと思われただろう。ソ連攻撃に先立って、ロシアの鉄道設備について調査できたのはライヒスバーン以外ありえなかったのに、その仕事も任されていなかったのである。

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