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「森ビルは出て行け!」 反対住民と正面から向き合った“覚悟”のV字回復

杉浦泰(社史研究家)

2020年08月25日 公開 2020年09月07日 更新

 

一生の仕事として小さな信頼を積み重ねる

苛烈な反対運動に対して森ビルがとった方針は、住民とのコミュニケーションと、そして時間がかかってでも最後まで再開発をやりきるということでした。

当事者の森氏は「ここは自分の一生の勝負どころだ。これまでの自分の人生の総決算であり、これからの会社の将来の布石だ」という覚悟を決めます。そして、まず「赤坂・六本木地区だより」という4ページの小冊子を発行することに決めました。

地元の話題や再開発の情報などが月に2回、発行され、森ビルの社員によって開発に該当する地区の住民に配布されました。この小さな取り組みによって、まずは森ビルと地域住民とが顔を合わせる状況をつくりだします。

また、その冊子の編集方針として、あえて「反対意見や森ビルに都合の悪い意見こそ、どんどん載せるべき」と掲げました。この結果、当初は冊子を捨てていた反対派の住民も徐々に目を通すようになり、森ビルと住民との間のコミュニケーションが重ねられていきました。

次に森ビルが行なったのは、地域住民が集まるイベントを企画することでした。再開発地区で買収した銭湯の跡地を整備し、住民向けの広場をつくって「椿三十郎」や「男はつらいよ」といった名作映画を流すことにしました。

この映写会では、再開発の必要性や、防災の重要性などを啓蒙する映像も流されたようです。こうして住民と森ビルの間の接点を増やし、また再開発の考えを住民に浸透させていきました。さらに、森ビルの社員も、地域コミュニティに積極的に貢献しました。

例えば特技を持つ社員は「書道教室」「そろばん教室」「合気道教室」などを開いて住民との接点を増やします。加えて、再開発に合意してもともとの住人が転居していった空き家に、森ビルの社員が家族揃って入居することで、地域の防犯対策を兼ねることにしました。

このように森ビルは、社員総出であらゆる方法を尽くして、地域とのコミュニケーションをはかりました。その取り組みを通して、1人また1人と、森ビルの考えに同意する地域住民が増えていったのです。

それでも、この住民とのコミュニケーションにおいて、万事が順調に進んだわけではありませんでした。時に修羅場を迎えることもあったうえ、住民たちも「賛成派」と「反対派」に分断されていきました。

再開発を推進する町会長と、反対派の副町会長の間で殴り合いの喧嘩が起こり、森ビルの社員(森稔氏)が「代わりに僕を殴ってくれ」と仲裁に入る一幕もあったといいます。このようないざこざを経ながらも、あくまでコミュニケーションをとることで、森ビルは住民たちの賛成を集めていったのです。

 

東京の最先端をつくるための、地道な戦略

1979年、ついに森ビルにとって「運命の日」が訪れます。再開発地区に600坪の土地を所有する反対派のある人物が森ビルの再開発に賛同したのです。再開発計画が公表されてから、約8年という長期間を経て、森ビルは開発地区の地権者への説得を完了させたのでした。

そして、再開発に関する詳細な計画が発表されることとなりました。そのコンセプトは「赤坂(Akasaka)」と「六本木(Roppongi)」にまたがる土地(結び目:Knot)に、オフィス、ホテル、住居、芸術ホールを併設するもので「アークヒルズ(ARK Hills)」と名付けられました。

「アークヒルズ」は、1986年に開業し、当該地区の再開発事業は完了となりました。アークヒルズにはゴールドマン・サックスをはじめとする外資系金融機関が入居し、東京におけるビジネス・グローバルの地となりました。

当該地区は、災害の恐れのある木造の古い住宅街から、最先端の金融都市へと変貌したのです。アークヒルズの成功を機に、森ビルは港区の他の地区の再開発事業を推し進めました。

1986年には六本木6丁目の再開発交渉を開始し、約17年という期間を経て、2003年に「六本木ヒルズ」を開業しました。2023年には、交渉開始から約30年を経て「虎ノ門・麻布台プロジェクト」が竣工予定で、森ビルのまいた再開発という種が花開こうとしています。

このように、森ビルによる再開発は、長期間にわたる住民とのコミュニケーションを愚直に行なうことによって支えられているのです。ビジネスのライフサイクルによって、見据える時間軸も有効な戦略も変わる今回の危機突破のカギは「愚直なコミュニケーション」にありました。

なぜ、東京の最先端をつくるにあたって重視されたのが、人と人とのつながり―地道なコミュニケーションだったのでしょうか。その答えは、ビジネスを時間軸という観点から読み解くと見えてきます。

短いライフサイクルのビジネスにおいて重要なことは「スピード感」です。多産多死の世界であり、成功するまで繰り返す、失敗したらピボット(方向転換や路線変更)する。その連続でビジネスは進んでいきます。

この世界では、一気に成長を遂げるものの、一度転落したときのスピードも速いというのが世の常で、下克上が頻発します。一方、ライフサイクルの長いビジネスの明暗を分けるのは「長期視点」といえるでしょう。

愚直に同じ仕事を数十年続ける忍耐力が必要ですが、達成したときのインパクトが長続きするという傾向にあります。今回取り上げた森ビルのように、地域住民からの信頼は、すぐに得られるものではありません。長い年月をかける必要があり、そのためには愚直さがポイントとなったのです。

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スピードだけではビジネスが破綻することも

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