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「森ビルは出て行け!」 反対住民と正面から向き合った“覚悟”のV字回復



2020年08月25日 公開

杉浦泰(社史研究家)

開発に反対する住民と森ビルはどう向き合ったのか?
イラスト:栗生ゑゐこ

森ビルは、東京・港区を中心に不動産を所有し、六本木ヒルズを代表とするような「街」を創造する不動産会社であり、時代を先駆けた街づくりを主導してきた。森ビルが手掛けた街や建物を見ると、「センスのよい不動産会社」であるだけのように思われるが、街の再開発には住民による「反対運動」への対処を迫られたこともあった。住民の反対運動とどのように向き合い、乗り越えていったのだろうか。

※本稿は、『20社のV字回復でわかる「危機の乗り越え方」図鑑』(日経BP)の内容を抜粋・編集したものです。

 

住民の大反対により再開発継続の危機に直面する

都心部の人口が減り続けた影響から、都市再開発法の制定は言い換えれば大規模な再開発が実施しやすい時代の到来でした。その時代の潮流を敏感に感じ取った経営者が、森ビルの設立者・森泰吉郎氏です。

1955年、森氏は森不動産を設立してビル経営に参入し、1960年代を通じて港区の虎ノ門や西新橋といった地区に、大量のオフィスビルを建設していきました。

森氏は、不動産業界のベンチャー経営者でありながら、港区に集中して土地を所有することで、誰よりも土地事情に精通した不動産のプロでもあったのです。1960年代までの森ビルは、先祖伝来の大家業によって所有していた長屋を、近代的なオフィスビルに刷新することで業容を拡大していきました。

つまり、どちらかといえば、東京都心部を「人が住む街」から、「働くための街」に変えていった企業―都心部からの人口流出を促す企業でした。しかし、1969年に「都市再開発法」が制定されたことを受け、森氏はその経営方針を転換させます。

旧来の住宅地をオフィスビルにしていくのではなく、住宅(マンション)とオフィスの両方を兼ね備えた「職住近接」の空間として再開発することにしたのです。都市再開発法によって、大規模な面積の土地を確保できるようになることを見越したうえでの方針転換でした。

そして1967年には現在のアークヒルズが存在する赤坂・六本木地区に着目し、秘密裏に土地買収をスタートさせました。この地区は、関東大震災の被害も軽微だったため、木造住宅が密集していて道幅が狭く、防災上の問題点が指摘されていました。

いずれは再開発が必要と目されていた土地に、まずは目を付けたのです。1972年になると、東京都が「赤坂・六本木地区」における再開発の必要性を公表し、再開発計画が世の中に認知されることとなりました。

そこで森ビルは、民間企業として、当該地区の再開発に名乗りを上げたのです。日本で初めての民間企業による都市の大規模再開発は、こうして幕を開けました。ところが、この森ビルによる再開発の計画に戸惑ったのが、該当地区の住民でした。

それはもっともなことで、この地区の住人からしてみれば、長年、平穏に暮らしていたところに、突如として「企業による再開発」という前例のない計画が通達されたようなものでした。

そのため住民の一部は、森ビルの計画に反対し「インベーダー森ビルは出て行け」「押しつけ再開発粉砕 住民本位の街づくりを」といったビラを配ることで抵抗。森ビルの再開発はストップすることとなりました。

再開発計画の公表から3年を経ても、土地の買収はまったくといっていいほど進まなかったのです。こうして、森ビルは社運をかけた再開発がまったく進まないという危機的な状況に陥ります。では、森ビルはどのように、この危機的な状況を突破したのでしょうか?

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